離任式で、おけつポコポコたたかれたそんな別れ

 

前任校の離任式にいきました。入り口では、たまたま今日がボランティア日だったおーこーちくんとも会え、手を振れたのがよかったです。

体育館、壇上で何を話そうかな?とここのところずっと頭の隅で考えていました。2つヒミツを打ち明けようと話しました。ひとつは、オイラが富士レンジャーのピンクレンジャーだったってこと。(みんなから知ってるし!って小さくつっこまれてるし笑)もうひとつは、今努めている学校のことを少しだけ。

そして、退場には時間があったようなので、最後に子ども達がいる体育館中を練り歩きました。みんな、笑顔でハイタッチしてくれました。去年担任してた子ども達がいる学年ではもみくちゃにされました。もちろん、6年生にも。

歩きながら、すっげえやんちゃでいっつもトラブルばかりのトンガリぼうずの少年が視野に入りました。彼だけ笑ってません。最後のあいさつをと近づくと、その子、そっぽ向いてしまいました。あれ?と思ったら、目に涙をためていました。ああ、そういう顔もみせてくれるんだと、どこか心が温かくなりました。オイラ、なんだか心がギュッとくるしくなって、ぎゅーってだきしめてしまいました。そしたら、おしりをポコポコたたかれました。いっしょに泣いちゃいました。男同士ってのは、言葉じゃないんだな。先生になってほんとによかったなって、おもえる瞬間でした。

放課後は、図書室で最後のお別れしていました。いろんな子ども達が来てくれました。ピンクレンジャーの人気を確かめることが改めてできました。

おーこーちくん曰く「まるでディズニーランドみたいに並んでましたね」って。オイラ、ミッキーのように全力で握手して、ハイタッチして、ハグしておひげじょりじょりしてあげました。もう汗びっしょり。

もう、思い残すことないなぁ。やりきったなったおもってたら、最後に、女の子たち3人が「はい、イガせん、最後の自主学習ノートだよ」って。前のクラスの子たちからメッセージを集めてくれてました。いやー、もうやられちまいました。子ども達っていいなぁ。そういう気持ちがうれしいなぁ。

イガせんから教わったことリスト。おもしろいな。「数学者の時間」が響いてくれた子たち。なによりも嬉しかったです。はい。お互い、しなやかマインドセットでがんばろう。

ありがとう。さようなら。さぁ、新しいスタートです。

あ~、楽しかった!IMG 3634

新学期は、一人一人、そしてクラス集団を「見守るまなざし」からはじめよう

 

新学期がいよいよはじまります。新天地でもあり、小さな心臓がドキドキしています。

去年のエントリーでは、新年度の3日間、いや1週間、いやいや1ヶ月ではナンニモシナイを大切にしていました。結果、それが子どものペースに寄り添えるものとなり、無理に背伸びさせることをしないでいられました。今、ふり返ってみてもやっぱりそれは大切なことで、もう少し言葉にしてみると「見守るまなざしをもって観察しつづけること」だなぁと思います。

 

「ナニモシナイから、変わったんだよね」

http://igasen.blog22.fc2.com/blog-date-201704.html

 

初日の子ども達との出会いに向けて、この1週間いろいろ準備していると、何を準備してもやっぱり不安がつのります。「どんな子なのかな」「この話きいてくれるかな?」「プイって外にでていっちゃったらどうしよう」って。その不安を押さえつけるかのように、オモシロいネタや子どもたちが食いつきそうなもの、先生のオトナの魅力みせつるけるのだ!と徹底的に準備しようという衝動にかられてしまいます。

けど、昨年をふりかえってみても、なにか子どもの目を引くことやネタを投入する心配はありませんでした。ネタよりもオモシロいもの、それは自分たち自身というリソースでした。そういう意味ではプロジェクトアドベンチャーはお互いを知り合うあためには大事にしていきたいです。

不安しのぎで、その場しのぎのネタ披露(例えばハマショーをやってみるとか…苦笑)するとかではなくて、何を大事にして子どもたちと進んでいくのか、どんな先生でありたいかが何よりも大事でした。

すると、やっぱり子どもに寄り添っていたいです。もちろんネタのひとつやふたつの準備はあっていいし、そういう飛び道具はいざというときのためにも、やっぱり必須です。緊急時はいつでもやってきますからねぇ。ネタがいらないのではなくて、そのやっていることの根底に流れる一貫した願いが矛盾していないかを見なおしたいのです。

けれども、子ども達一人一人をちゃんと知ること、そしてその子ども達が集団として集まったときにはどんな力を発揮できて、どんな課題が生まれてくるのか。そういうことを目をぎらぎらさせながらじゃなくて、ニコニコしながら、「そーくるか。そーくるか」と、一緒に笑いながらスタートしていこうとする。そんなマインドをこのスタートの1ヶ月は大切にしていきたいです。

それは、子どもだけではなくて、そこを支える保護者や先生たちもそうであってほしいです。何に興味があって、何に困っているのか。良い・悪いの評価判断をすぐにしないで、まずはいっしょに過ごす中で、様子を見つめてその中で、自分自身が何を感じているのかをキャッチしてみることから一緒にはじめたいです

読み聞かせをしてもそう。自然をさがしにいっているときもそう。自学ノートをやっているときもそう。ふりかえりを書いているときもそう。そのときそのとき、大切にしたいめあてに照らし合わせながらも、子ども達を「かたまり集団」としてではなくて、ひとりひとりとして見つけていく目をもっていくこと。

係や当番だって、必要とあればみんな少しずつ決めていくことでいいと思っています。そのほうが、自分たちのコミュニティとして手触りを実感できることが多いでしょう。そして、なにかあれば、みんなで話し合い、変えていけるその主体者でいられるというメッセージを伝えられる。そう思うと、オイラは学級づくりしている効率や生産性はと~~~ってもわるそうですね苦笑。でもそれでいいとおもいます。子どものことを知ることからはじめて、本当になにが必要なのかを考えていく視点をもっていたいと願います。

この観察する視点が少しずつ、子ども達を見守る目になって、やっぱりいつでも見続けられるまなざしへ。そんな先生でオイラはありたいです。

そう思えたら、今年は、ゆっくりとスタートできそう。この1ヶ月は「楽しかったね」ってのんびりと思える教室づくりに向けていけそう。学ぶことはこの土台に自然とのかってくるはずです。あせらないでじっくりと観察することを大切に。オイラ自身がわすれないように。

あ~、ワクワクするし、やっぱりドキドキするぅ。

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 また、卵うんでるし~。春ですね。

学ぶということ、それは「自分のモノサシ」をつくるということ


いよいよ新年度ですね。どうぞ、よろしくお願いします。この春、新しい職場や学校、新任の先生、新しいチャレンジをはじめる人にむけて応援のメッセージです。それは、「学び続ける人」になってほしいということです。学び続けることが、これから出会うはずの壁や失敗をも豊かにしてくれ、おもしろがって乗り越えていけるからです。

学ぶということ。それは「自分のモノサシづくり」のようなもの。自分のものの見方や考え方というモノサシをつくり、いろいろな場面に当てはめながら、その新しい環境にあわせてまたつくり直していくということ。ちなみにモノサシと定規のちがい。前者は長さをはかるもので、後者は線を引くものです。あしからず。この学びのモノサシづくりにはいくつかの手順があるので、考えてみました。①知る、②つくる、③使うの三つです。



① 手にいれたい学びのモノサシを知る

いきなり、自分だけのモノサシをつくってぶいぶい使いまわすことは難しいものです。そこで、まずはステップ①「学びのモノサシを知る」ことからです。新しい職場や環境にしばらくすると、自分に必要なことや知りたいことがみつかってくるはずです。そこで、しっかりと知識を仕入れて、自分にとって必要なモノサシをみつけていきます。まずは、無知の知を自覚して、これまで知らなかったことを本を読んで知ったり(オイラはだいたいその分野の本5冊を目安に)、講座で実際に体験してみたり、メンターや先輩たちから聞いたり教わったり。この新しいことを学んでいるときはわくわくしますよね。知るってオイラ大好き!この知るってことがすべてのスタート。なによりも大事なことです。でも、よくやってしまう失敗に、この知ることがスタートではなくゴールとかんちがいしてしまい、「まなぶくん」や「しってるくん」になってしまうときもあるので注意が必要です。

それには、知ることへ一貫性を持たせるためにも優先順位をつけてみることです。あれもこれもでは、やはりなにもそれも身につきません。いろんなモノサシを手に入れようとすればするほど、そのたびに、測れる目盛りが変わってしまう。cmだったものが、ヤードやマイルだったり、はたまた重さや速さと領域そのものが変わってしまい、結局、なにものも測れないモノサシにしかなりません。まずは、あれも知りたいしこれも知りたいという気持ちをぐっとガマンし、一つか二つにしぼって、「今年、学ぶことはこれ!」と決めてしまうことです。そのうち、その周辺の知識も少しずつ身についてきて、いつかその知識の点と点がつながってモノサシになってくるはずです。オイラは今年、形成的評価と遊び学習がメインテーマです。一つにふりきった学びの方が、長い目でみるたとき、自分の価値判断の基準のものさしになるはずです。



② 学びのモノサシを自分でつくる

自分に必要なモノサシがわかったら、次はそのモノサシ見よう見まねで、マネしながらも自分でつくりだしていくこと。そう、マネするということは、自分で竹林の険しい藪の中へ入っていき、その中から上等な竹をを目利きして切ってくることです。乾かして皮をはいで、ナタを入れてみる。自分にとって使いやすい長さに決めて、測りたい大切なものの目盛りを一つずつ彫り込んでいく。カコーン…カコーン…♪と、音のソノリティが聴こえてきそうです。そして、いよいよ一本の自分のモノサシができあがる。こうしたモノサシをつくるプロセスそのものが学びの真骨頂であり、情報収集の知ることとの大きな違いです。

知ったことを、まず実際にマネしてやってみることからはじめてみる。最初はこのマネするだけでもほんと難しい。だって、これまで自分にもっていないし、測ったこともないはずの度量衡のモノサシだから。しばらくは繰り返し練習が必要でしょう。ただし、やっていることを、まるっとマネしているよりも、「自分の気持ちをキャッチしながら」マネることだけで、いろんな景色がみえてきます。何も考えずに完コピしたり、まるごと暗記だけではもったいない!素直に学ぶのはいいのですが、健全な批判精神をもって、です。

今、知ろうとしている知識がいったいこの先、どこにどうつながっていくのかを考えながらやってみる。おおまかな方向性や全体の地図を観もせずに、目の前の作業ばかりしか取り組んでしまうと、いつのまにかスキルの積み重ねにしかなりかねません。ものさしコレクターは、その使い回せないほどの多くのモノサシを常に持ち歩きますが、その場しのぎには役にたつかもしれない。けれども自分の軸として本当に使えるモノサシは実はいくつもありません。自分で意図して「先達はどうしてこうやるんだろう?こっちのほうがいいのに、なにか意味があるのかな?」と、考え考え苦労を重ねてマネしていくことで、少しずつ「自分のモノサシ」になっていくものです。


③ 学びのモノサシを使ってみる

自分のモノサシを手に入れたら、使えるものになっているのかさっそく他の場面にも使ってみることです。教育用語で形式陶冶(けいしきとうや:その知識を使って発展させていくこと)ともいいます。新しい場面に当てはめてみたり、修正しながら使ってみたり試すことで、そのモノサシが自分のものに少しずつ身体化していきます。遊びってこういう試行錯誤がつまっているので、まさに遊びながら使うことが、自分のモノサシをより使いやすくしていくのかもしれませんね。しかし、使い続けてみると、その不備にも気がつくようになってくるはずです。それは、これまでのモノサシでは測れないものがでてくるからです。そこに、学ぶ文脈がうまれてきます。なぜ、学ぶのか?「それは、そのモノサシが古くてダサいからだ」名文ですなぁ。墓標に刻み込みたいものです。うんうん。


このモノサシは完璧でなくなっていいんです。まちがって不安になったっていいんですよ。だから新しく学び続けるんです。大事なことは今、その手にしているモノサシを脇に置けるかです。ときにうまくいかないことが続くと嫌んなるし、めんどくさくなるし、だれかに代わってもらいたくもなります。そういうときには、そのモノサシを手放すいいチャンスかもしれません。自分のモノサシだけにコダワリすぎているからうまくいかないのかもしれません。

ここに自分を変えていく必要感が生まれてきます。自分に足りないものがみえてきます。それは、ピンチのときこそ!わんぱくでやんちゃなあの子が、「おい、イガせん。そのモノサシすてろすてろ」と呼びかけてくるんです。そうやって、オイラは子どもたちに強く育ててもらってきました。だから、悩んだりつまづいてきたきた分だけ、胸をはって変わってこれたって思えるんでしょう。

子どもたちの学びも見ていて思うのですが、おもしろいから学ぶんです。決して、修行僧のように刻苦勉励するから学び変わっていくというよりも、幸せだったり、楽しかったり、わくわくしたりするから、いろいろチャレンジしてしまう。おもしろいからこそ、自分のモノサシがより磨かれていくんでしょうね。



この春、年度がかわるとき。これまでもっているモノサシを脇に置いて、つくり直す一番いいチャンス。新しい環境は自分に足りない何かや、自分が何なりたいのかを、発動させてくれるはずです。自分のモノサシを知り、つくり、使う、そして、磨いていく。そんな学びを手にしてください。これを読んでくれたみなさんの新しい挑戦にエールを送ります。また、改めて小学校先生ビギナーとして、新たな挑戦にむかうオイラへも。

そう。オイラ、退職しました。

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数学者の時間 算数アドベンチャー(探究型学習)もいよいよ佳境へ

 

残すことあと数日。子ども達の研究も佳境に入ってきました。

教室に最大円を描きたかった少女。

鉛筆でみごと大円を教室に描けてました。ぱちぱちぱち。でも写真に撮ってもはっきり見えません。プレゼンではぜひ、みんなにこの円を観てほしい。床にどんな印を残せばいいのか迷っていました。のこり2時間では、白のビニールテープを貼り直すことはとうていできそうにない。といってクレヨンも消せないからだめだし、ペンもだめ。なにか長いものは?と考えているけれども、なかなかアイデアが浮かびません。うーん。研究は進んでいるのに、探究型の学習はこういうところに落とし穴があるもんなんです。

子ども達は、こうやってアイデアが浮かばないで、もがいている時間が結構あるようです。校章をコンパスで描こうとするプロジェクトは、大きいコンパスをつくってはみたものの、ジョイント部分が固定できずにどうしたらいいのか、なかなかアイデアが浮かばない。中心部分の固定から視点を変えるといいのですが、オイラが投げかけても、一度こだわってしまった点からなかなかズラすことができません。一歩さがって考えることはなかなか難しいようです。その後も、コンパスの試作品をいじりながらも話をしているようでした。そもそも課題について考えている時間と操作性といったマネジメントの時間とのバランス、もう少しうまくできるよう支援していきたいです

最大円の少女の話。ワークタイム(活動)中ですが、みんなにいきなり相談することにしました。オイラからみんなに「助けてほしいことがある」ことを告げ、その子が「見えやすくする長いものは?」と聞くと、ボソッと「長縄じゃない?」と。これですぐに解決。集団の力であっさり。教室っていいなぁと思った瞬間でした。

さっそく長縄をたくさん集めてきて、ようやく算数少人数教室へ、写真にもきっちりおさまりました。ちなみに中心は、1タイル30cmなので7つ分とのことでした。よく考えているなぁ。このさき、半径と直径を式で表すしてくれるんでしょうね。

 

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よくみると、机を動かせばまだまだいけそうですが。それはまた次の研究へということで。



マイナスのかけ算少年。

みなさんからのアドバイスをもとに、8×-2を数直線を使って、一緒に考えてみました。×2は+方向へ進むんだから、マイナスは?とすれば、マイナス方向に進むんじゃないのかと。じゃ、-8が-2個分だと?というと、やっぱり-16になっちゃう。マイナスって意味が「反対」に進むって解釈を取り入れるとうまくいくんでしょうが、そうは思っていないようです。マイナスはあくまでも負の方へ進むとのこと。でも、それは-8×2と-8×-2の答えどちらも-16になってしまうので、おかしいとなりました。うーん。となっていたら、いきなり「反対に進むのは?」とひらめきました。まっててよかったー。でも、その「反対」にはすぐには飛びつかずに、「ほんとかなぁ?」としばらくやりとりしていました。

本来ならば、今の自分には手に負えないテーマを設定してしまったことに気づき、テーマ修正をしていくべきなんでしょう。でも、子どもの興味にオイラも興味があるし、今つかえる道具(数直線やかけ算)をもとに、やりとりすることで、新しいことがみえてくるかもしれません。

そう思ってカンファランスし続けていました。結果、「ー(マイナス)は反対の意味を持つ」ことを発見してしまいました。こういうことにいっしょに寄り添えることは先生やっていて、楽しいことです。けれども、反省もあり、この探究型学習の取り組みは、先生のカンファランスに大きく左右されすぎてしまう一面があります。ある程度、子どもが自分で、仲間と一緒に克服していける課題設定の安定性。このへんはオイラの改善点になっていきそうです

教室では、どの子も全員が算数が得意な子ではありません。探究すればするほど、その落ちもみえてくることもあります。そこをキャッチしてまた学び直しをしていくこと。絶え間なく、学習者からのフィードバックをもらいながら先生がそのフィードバックを活かして関わり続ける。それでいいと思います。子ども達の状態を定点観測し、今の一時点ではこういうことができているし、できていないってことを示して、子ども達は自分の問いから出発し、形や作品にしながら進めていくのがよさそうです。これって、ずっと学びを続けながら変わり続けていくってことなんでしょう。

あ~、楽しかった。

砂粒は72個で重さがうまれる問題から、子どもって理路よりも実感に生きている オイラの科学者の時間

 

子ども達の研究をいくつか紹介します。ほんとオイラ体がいくつあっても足りない。でも、おもしろい。

「塩と砂糖はどちらが重いのか問題」

これはみんな興味があったみたいで、机を真っ白な粉ぶちまけながら、やっていました。子ども達は、算数でつかった秤を使いたいというので、算数教材質からもってきてもらい、同じ重さにしながらくらべっこしてみると、一目瞭然。砂糖山盛りのカップと塩がカップに真っ平ら。「イガせん!塩おもい!塩重い!」叫んでました。へー。実際に確かめてみるまで、オイラは知りませんでした。というか、そもそも、塩と砂糖の重さを比べてみようなんて考えもしませんでしたし。ここは質問作りのいいところで、みんなで模造紙に質問を共有したからこそ、こういう「砂糖・塩問題」に取り組む子が増えたのだと思います。

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「チョークは何色が一番重いのか?」

まだ使っていないチョークを事務室からもらってきてました。オイラは黄色と白しか使いませんので。てんびんでくらべてみたり、測ってみたり。すると、「先生。赤が一番おもいんですねー。これは着色料の重さが影響をしているんです。はい。きっと。」なんて、とっちゃん坊やの少年がしたり顔で説明してました。あはは。おもしろい。赤チョーク使うと腕が疲れるのかっも(笑)。

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「てんびんつくるプロジェクト」

やっぱりてんびんそのものをつくってみたい。その熱意にかられて、身近にある道具をもとに天秤作り。あは!おもしろい。「釣り合わないー涙」って。ペン立ての丸いプラスチックをうまく使って弥次郎兵衛のように天秤を考えたようです。でも、彼女たちにはそのアイデアは先進的すぎてその技術が追いつかなかった。さらに油年度でぬるぬるしてセロテープもつなかい事件へと。どうすっかなーって様子をみていると、次の時間には、こんどは「アルニコ磁石を二つ土台につくったら成功した!」って、みてみると、確かに割り箸は曲がっているけれども、磁石でうまくバランスをとっている。けっして勉強が得意な子達じゃないだけに、とってもうれしい。この天秤をつかって、また測る活動をするんだって。

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「砂粒は72個で重さがうまれる問題」

電子ばかりに砂粒をピンセットで一つずつのせている少女二人。「イガせん、砂粒1個じゃ重さがなかったから、72このせたら0.1gになったよ!重さがうまれた!」重さがうまれたという表現がおもしろい。この二人は実感できない重さは0(ない)だと思っている。「じゃ、71個は重さはないの?」ってきくと、「うん!うん!」と目をスーパーキラキラさせてうなずきます。

さっそく共有の時間で発表してみると、やっぱり他の子から指摘されました。「重さは生まれるんじゃなくて、軽すぎるからその秤じゃ測れないだけなんだよ」って。でも、まだぜんぜんピンと来ていない様子。「もし砂粒1こが0gだったらさ、72個あっても0gじゃん。72このせて、0.1gってことは、71こは0.1gよりももっと小さい重さがあるんだよ」これ以上ない理路の通った話にオイラは納得しました。

けれども、その二人は、実際に「目で見て確かめられない」ので、納得ができないといっています。もっと小さい重さを量れる電子秤をかしてくれ!って。そりゃ無理だ。今ある情報と結果から、結論をだしていかないとさ。その後、給食の準備中からずっとその数人は砂粒問題について話をしていました。一緒にオイラもまぜてもらいました。

72個で0.1gなんだから、だれか1個の重さを出してくれないかな?っておもったけれど、割合の考えは5年生でまだでてこないはず。なら、同数累加でX+X+…=0.1になる実感を伝えるといいのかな。1円玉で説明しても、1円は72個あれば72gだよね。だから、1gが72個分なんだよって。でもだめでした。1円は1gってすでに測れてしまうから。うーん。

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子ども達の話に、筋道を立てて話し合うことはとても大切だと思う。けれども、理屈はそうなんだけど実際にやってみて目で確かめないと、納得できない!ってことがあるんだろうな。小3は強い。理屈でねじふせられない。でも、それでいいと思います。大人はここを教科書ベースに「そういうもんだから」とついつい説得してしまいます。この話は、次回に持ち越すことになり、クラスを二分してディスカッションすることになりそうです。

 

あ~、楽しかった。


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