う~ん。感情がじゃましていた。けど、子どもに助けられてたことを知った。
朝、職員室の前。二人の少年にまちぶせされて、「イガせん!おはよー!」とあいさつをもらいました。あぁ、昨日、最近の朝のあいさつについて、ちょっと小言をいったことを覚えていた子たちなんでしょう。わざわざ、「名前+先に!」と言いに来てくれました。オイラも「おうおう、おはよー。嬉しいなぁ。そのあいさつは。わざわざ言いにきてくれたんだ」と。そのあとにこっそりやった「おっしゃ!勝った!」とガッツポーズをオイラは決して見逃しませんでした。「コラコラそりゃちがうぞ。勝ち負けでは~」と、一日が始まりました。でもまぁ、朝からほっこりと幸せな気分でスタート。打てば響く。気持ちのいい子ども達だなぁ。
算数はいよいよ最後の学年のまとめ。それぞれ、「わかる、わからない」を自己評価しながら、自己採点もふくめ進めているステップへ進んでいます。
ある子が「イガせん、教えて」と声をかけてきてくれました。「お、いいぞいいぞ」と。一緒にはじめてみると、問題文を読まずに答えようとしていることがわかりました。「はて、読むのがめんどくさいからかな?」と思って、一緒に読み始めてみると、「あぁ、やっぱり」と分かったことがありました。
問題文に記述されている意味が追えないようでした。「P95の★2でまとめた表は~」とあると、まず、95ページと★2の情報を使うことまで気づくのですが、表となると、すぐ目に入るページの表と勘違いしてました。やっぱり、読むその支援をもっとしていかないと!って思ったのですが、その子は、問題の意味さえ分かるとすいすい進んでいってしまいました。「ひとりでできたー。イガせん、ありがとう。算数、好きになっちゃった」って嬉しそう。なんか、そういう顔を見ると、また明日、いっしょに勉強しようってこっちが素直に思えるようになり、子どもにきっかけをもらったな、と思うのです。
子どもは、読めないからできないなんてこともなくて、力尽くというか、これまでの日常生活体験や使える力を総動員してやっているんでしょう。けれども、教室で学んでいると、周りにはそうはなかなか見えにくい。というか、怠けているにしか見えてこないことも。その子がそういうわけではないのですが、怠けている子にせっせと個別に教えることに、オイラは「感情的な抵抗」が生まれてしまいます。もちろん、できないからわからずについサボってしまっていることもあります。また、純粋にサボっているときも、いやだなぁと。思ってしまい、わざわざ声をかけて踏み込んでいくのを重くしている気持ちがあります。
個別カンファランス(ひとりひとりにあわせて教える)って、授業の構造上、先生の体が空いているから可能とかそれだけではなくて、なんかこうもっと「感情的」なものが大きく占めているはずです。教師だから全員を平等に!とはいうものの、案外、教えやすい子に流れていることはないだろうか。そんなことを考えてしまいました。
うーん。あるかもしれません。オイラも人間だし。気持ち的に教えにくい子が存在してはいけない、とはおもうけれども、そう、うまくいかないことだってあります。ほかの先生たちや親は、こういう感情はどうやって、のりこえていってるんでしょうか?
オイラは、今年、子ども達からよく「おしえてー」って声をかけてもらい、そういう子が多かったので、オイラの持つ感情バイアスを彼らはまったく気にもとめずに、子ども達のほうから、越えてきてくれて助けてもらっていました。
今日、声をかけてきてくれた子は「よくなりたい」って思っていたにちがいありません。これまでの学習態度に引きづられずに「よくなりたい」そういう願いにアンテナをはっていられる先生でありたいなぁ。
感情的なものが、大事な場面で自分を左右していることがわかりショック。あと2週間で学年末。今まで取り組んできたことの成果でもあり、課題をつきつけられています。明日は、土曜授業日。オイラから積極的に声をかけていこうと思うのです。その子が声をかけてきてくれたように。
う~ん。しょぼくれん。