子どもから「オイラ今ためされる?」ってとき 

 

運動会に向けての怒濤の6日間がすぎた。でも、学校が楽しくてしかたがない。子どもたちと会うのが楽しみだし、頭をついついなでなでしたくなるほどいとおしい笑。成長したときの笑顔をみると、ギュッと抱きしめたいけれど、欧米でも無い限り倫理確立委員会におくられてしまうのでよろしくない。

にしても、学校内で大人を含め、よい関係がきずけているその一因には、今、ありたい自分でいられるからだと、振り返ってみると思う。

それは、子どもといえども、一人の人としてちゃんと受け止めること。Dignity(尊厳)というとかっちょよいけど、子どもも大人と同じように立派な意思のある人間。決して、大きな声で威嚇したり、管理口調になる必要はない。

オイラは、相手の言い分には常にアンテナを広げ、好奇心をもって寄り添っていきたいと思っている。それは、失敗したり、ケンカしたり、サボったり、いわゆるピンチのときならなおさらだ。その子なりの言い分やストーリーへ理解を示さない限り、いかに適切な指摘やフィードバックであったとしても、その子の変容できないと確信している。ごめんなさいシチュエーションにしても、うわべの行動変容はみられ、言葉だけの「ゴメンナサイ。ユルシテネ。コレカラハモウシマセン」へ、職人的な磨きがかかり、あたかも反省しているようにお互いが錯覚してしまう。でも、相手への配慮ある気持ちや失敗への洞察は浅い。なぜなら、そうせざるを得なかった自分の気持ちをちゃんとふりかえれていないからである。

もちろん、言い分やストーリーがあるからって、やってしまった失敗がチャラになることはない。ダメなときはダメってちゃんと告げるし、クラスのみんなにも相談もする。でも、ちゃんと自分がどうしてそんなことをやってしまったのか?への気持ちを少しでも聴いてもらえた方が、その後のごめんなさいの言葉が明らかに異なる。心からふりかえれたってことだと思うし、そう自負している。子ども達には、そういう「言い分まで聞いてくれる」サポーターが必要なんだよね。

かといって、ちょっとオイラから一方的に言い過ぎてしまったなってときももちろんある。そういうときは、後で近づいてってごめんねって。あらためて、気持ちを聞かせてもらう。それができるようになるのに恥ずかしながら、ここ数年。こういうことは教師をしていて最初からはできていなかった。あらぁ。赤面。

 

あ、ちなみに、一方的にものごとや考えを押しつけてくる大人はオイラはとても苦手。それでも、そういうときは、相手が大事な人にはちゃんと告げる努力をするか、「こちらから」相手のストーリーに寄り添うよう、分かってほしい気持ちをおいといて、こちらから声かけるようにしている。最悪、いつでもNo Deal(取引無し、つまり深く心のつながりをもとうとしない)という選択をも用意したいと思うが、その選択を使うことはまだきていないのが幸いである。無理してつきあうほど苦しいことはない。幸いにして、そういう職場でも仲間にもであっていない。

 

この1週間には大小さまざまなトラブルがあった。そのたび、頭の隅で「ピーン!相手をリカイシマショウ!」とかすかなりにもセンサーが鳴っているのに気づき、一方的にしかりつけることはなかった。センサーをらせられたのは、そこに意識が向いていたから。無意識にピーンとくるまでやはり、失敗しながらの一歩一歩の練習、努力が必要だった。

 

とは、いうものの、自分の大切にしている「かかわり」で常にいられるとは限らない。一方的に、こちらの思いを押しつけたくなってしまうときもあるし。かちんとくるときもある。それがでるときは「自分の弱さ」であると自覚している。そして、その弱さはたいてい、活動している最中や業間休みに応援団の練習が控えているときなど、時間の無いときに試されることがおおく、切羽詰まったときこそ、ありたい自分でいられるか、ためされることとなる。

それを垣間見た瞬間がさっき、算数の個別でカンファランスしているときにあった。

算数大きな数。授業も後半にさしかかり、子ども達は本時の練習問題を解いているか、予習をしているかドリルをじゃんじゃん進めているか、そんな状況になったころ。一人、まだ練習問題に苦戦をしている子がいた。

「どんなかんじ?一緒に考える?」と尋ねてみると、反応薄そうに「うん」と言う。数直線の仕組みが分かっていなかった。オイラの中に、ミニレッスンであんなにも丁寧にしたのに!って気持ちがふつふつとわいてきたと同時に、やっぱり一斉指導の限界ってこういうことだよな、集中の続かない子にとっては苦しいものだし、とわりと冷静に対処できていた。

でも、ていねいにくりかえしおしえるほど、だんだんその子の顔色がかわっていき、明らかにブスッとしている。説明しているのにそっぽを向いている。とどめに、「ふうー」とため息などつかれた瞬間、こちらも「おい!」と瞬間的におもう。いやいやだめだ、オイラはプロなんだから。とぶつぶつと自分に言い聞かせなんとか落ち着かせる。その子のストーリーによりそうチャンスじゃないか。よし、くじけず声をかけると、目を閉じているではない、か!笑 すごい抵抗勢力。「もうやめよう。先生も応援の練習があるからいくからね!」と、言いたい言いたい言いたい。

こちらも、「ふうー」と一息飲んで、「じゃぁ、一年生のときにやったんだけど…」と数直線、数の線、ものさしから始めた。できるところにもどると嬉しいようで、反応が見られるようになった。オイラが「ここが100ね。めもりは10こあるから、1目盛りは?」と押し殺しながら聞くと「10?」と聞いてくる。正解!なるほど、連続量は理解しているんだな。「なら、3年生1学期の問題ね。今度はここが1000なら…」とやってくると、だんだんその子の顔がパッと明るく晴れてきた。それに呼応するように、オイラの気持ちもパッと晴れてしまった。むむう。子どもにはすごい力がある。そこからはなんとか、トライアンドエラーを繰り返しながら、一緒に考えながら数直線についてクリアできた。

「イガせん? ○○(←自分の名前)、算数大好き。またやりたい」ってカラカラ笑いながら走って、外遊びに行ってしまった。

あのとき、ぴしゃりと打ち切らないでよかった。そうでなければ、こんなほっこりとした気持ちにはなれなかったから。その子は、学年の他の先生にも「もう、大きな数おわっちゃったんだよ~」って嬉しそうに話をしていたみたい。まだ、ぜんぜん終わっていないのに笑。

きっと、聖人君子のように泰然自若と子ども達と関われる日は来ないのだと思う。これからも、ずっと、かちんときたり、いらっときたり、試されながら、ときに、失敗もしながらも頭を下げ、少しずつ相手の気持ちに配慮し続けるありたい自分でいられる、そんな先生でありたい。


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数学者の時間 子ども達からの面白問題に頭をひねりひねり。

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