漢字ドリルを最後まで仕上げることってさ、教育のスパンをどの視点でみてるかだよねぇ

 

 1学期が終わった。終わった。恒例の生徒指導ゴトウ劇団。さて、おいらは何色でしょうか笑?

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先日の漢字ドリルのつづき。昨日、朝、学校に行くと、駐車場のところで、登校中の子どもたちが集まってワイワイガヤガヤ。はてはてどうした?とよっていってみると、「イガせ~ん!キセキ!キセキ!◯◯くんが漢字ドリルをしあげてきたって!」と。ウソだろう!?あれだけの量を!?かれはムフフと後光を指しながら、漢字ドリルを自慢をしてきた。「イガせん、ぼくはね、すごいんですよ。やればできるんですよ」と。確かに!確認してみると漢字のドリルを全部終わらせている。スゲェなぁ。しか~し、まだ計算ドリルは終わっていないけれども笑。でも、教室に帰って皆の前に報告をしてもらった。昨日、一日覚悟して努力してきたことを。みんなから拍手をもらって、なんともうれしそうだった。

僕はこういう時に、この子たちは一体何を学ぶんだろうって思う。

この時期にきて、漢字ドリルを「やらされ感」いっぱいでやっている子どもの立ちの様子を見ていると、これまで、ほぼ意味がないなぁと思っていた。

それよりも、そのドリルをこれまでどう試行錯誤して、つまり、漢字を計画的に終わらせる、覚える、うまくいかない、などといったことの「学び方」を獲得していくほうが、意味があると思っていた。そのため、ふりかえりがすげげげ大切。だから、一対一で話すし、クラスの子達ともそれを共有し、話し合ってきた。

どこかやっぱり、「やらされ感たっぷり」のドリル学習を学期の最後までやらせきることに違和感も、もっていた。

でもねぇ。学習の効果うんぬんのまえに、「やるべきことを最後までやる」ことは必要だろうって。人として、大切じゃんそこ。みたいなところもあり、やっぱり、きっちり、最後まで仕上げてきた。それがいいのかなぁって思ってやってきている。

先生が漢字ドリルを管理しまくって、計画的に先生がレールを引いて、リヤカーに乗せて安全にゴールまで連れて行ってしまう。そこには子どもの試行錯誤や、失敗から学ぶチャンスもなく、漢字ドリルがしあがってしまうことからは、学び方は学べないだろうね。失敗させないを目的ではなく、「いろいろあったけどさ、最後までやりきったよね感」を大事にしたいところ。

教育のスパンをどの長さでみているか?なんだろうね。1学期末のこの瞬間だけなら、学習内容の獲得からは、あんま意味無いよね。でも、1年、そして次の学年への視野で考えた時、その意味合いが変わって来るよね。

昨日、納会後の二次会。「昨年はずっと、いわれていわれてやっていた漢字ドリル、□□くん、ついに今年は仕上げるようになった!」って、今年担任されてる先生から報告を受けた。その子には、僕も気になっていて、終業式のときに、直接聞きに行っちゃってた。そしたら「おわりましたよー」って苦笑いしてた。

以前、不登校傾向のある子を担任したときのこと。2学期に、学校に休まず登校してくるようになったとき、気になってきいてみた。どうして、がんばれるようになったの?と。するとね「計算ドリルを最後までやりきったから」だって。

むむう。深いぞ。

単に、計算を仕上げるとか、何かを身につけるだけではないよね。最後までやり切る体験、がんばった、やりきった、そういった体験の積み重ねが、「最後までやれるぞおいらは!」って自信を育てているんだろうね。

ただ、どうもこういう漢字や計算ドリルとかって、家庭教育力の差がでがちなだけに、もっと配慮が必要だよね。本来なら、授業の中で、こういうことを、ちゃんと子どもた試行錯誤しながら学んでいって、自信をも身につけていってほしい。

ぼくらは、ついつい身近いスパンで教育の効果を測ってしまうことに、追われている。それもひとつ、お付きあいすることも大切だと。でも、本当に何を身につけるのか、自分の学び方を獲得するための学習なのか、最後まできっちりと粘り強くやりきる誠実さなのか、長いスパンでみたとき、また、子どもたちが身につけていくチカラが変わってくるよね。

それって、学年をまたいで、同じベクトルを向いている、先生たちの願いが共有されているかってことなんだろうね。

次の学年も視野に入れる、そして学校全体を鑑みる、そういう視野で考えること必要なんだろうね。そういう話をわざわざ学年またいでできるといいよね。現状では、そういった大事な対話は、校内研修と2次会くらいでしょうか苦笑。

いよいよ夏休み。さて、どんな夏になるのかな。

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