「教室には実践の自由がある」とのバランス

午前中はパソコン作業。Appleウオッチをあげちまったので、AppleIDをすべて刷新しなおす。そのため、ここ最近、いろいろなところで不具合が生じてしまう。更新が止まってしまっていたAirMac time capsule に自動でバックアップできるように直す。良い機会なのでと、これまでサボっていたiPhoneのバックアップも試みる。もうすでにMacbook airには容量はない。いろいろ調べ、直接、外付けハードディスクドライブにiPhoneデータのバックアップできるように、ショートカットでつないでみる。ターミナルを使っての作業で、なかなかおもしろ。iPhoneとmacbookつかってるなら、絶対、外付けHDDに保管しておくほうがオススメだよ。

そんなこんなで、散髪へ。そこでの話。

その店長さんは僕と同い歳。ひょんなことから、昔の先生の話になった。「ぼくらのころはあれっすね。個性的な先生がたくさんいましたよね。ぼくの担任は、火起こしを教えてくれましたね。今日は、火おこしするぞーって笑」そんな話を聞くと、ノスタルジックに感じてしまう。きっと、その先生も他にもいろいろ手をつくしたことがあったろうに。それが「火起こし先生」にすべて象徴されてしまうなんて…。はて、ぼくは一体子どもたちにどう名付けられるのだろうか。

それはそうと、最近、そういった個性的な先生が少なくなってきてるんだな。と気付く。学習内容、保護者、管理職、学力、いろいろな面に配慮に配慮を重ね、当時の牧歌的な先生が絶命しているように思う。教育はもっと、多様であるほうがいいのにね。でもさ、きっと、そういう個性あふれることをする先生だからこそ、学習面においてもエネルギッシュにやっていたことだろうよ。ただ、学校で火起こしなどのイベンタリーなことが眩しすぎちゃったんだろうね。

随分と前の話。僕がまだ体育主任をしていて若かかった時のこと。ぼくもいろいろ自由なことやってたなぁ苦笑。朝、校庭でラインを引き終わった頃に、子どもたちが「おはよー」とやってくる。子どもたちとはある約束をしていて、朝、鉄棒をしてぼくとハイタッチあいさつしてから、教室に入るというもの。健気にも、子どもたちは毎朝つづけ、習慣になってきたころ。職員会議でのこと。「あれはやめてもらいたい。朝、登校したらランドセルを教室に置くといった基本ルールを守ってもらいたい」とベテランの先生から鉄棒のことを指摘された。場面はぴーんと張り詰める。ぼくは、しどろもどろでたじたじ…。すると、あるじいちゃん先生が「そうやって、若者の実践を、われわれ年寄りが、邪魔するもんじゃないよ」と助け舟を出してくれた。「教室には実践の自由があるもんだ」と、応援してくれた。「まぁ、ランドセルぐらいは教室においてからやってほしいものだけどもね」と、指導もいただいた。たしかに。勝手気ままなぼくはそうやって、厳しくも温かくもいろんな先輩たちに育ててきてもらってきた。今、思えば、指摘してくれた先生の思いもわかるし、そういう至らなさは申し訳なく思う。

20代当時のぼくの視野は、目の前の子たちことで精一杯。あったとしても、自分の校務分掌止まり。くらべて、今はどうだろうね?最近、ここのところのバランスを少しはとれるようになってきたかな。いや、まだとろうとしている最中かも苦笑。

自分の教室でやっていること、学年、学校に広がっていけるとよいな、と素直に思えるようになってこれたし。そのためにも、できるかぎりのことにチャレンジ中の道半ば。突っ走っても駄目だし苦笑。ゆずれるところをゆずりながら、でも、ここだけは!というところは粘れるようにもなってきた。部分的最適解ではダメで。学校全体を俯瞰してみて、今、自分がやれていることがクラス単位で効果があることだけではもなく、学校外に向けてだけに効果があることだけでもなく、いっしょに働いている人たちといっしょに利用し合える、そんな「同一歩調」になるといいぞ。

ただ、最近やや、守りに入っているかなぁ?本当に、子どもたちにとって意味のある学びを追求していくこと。このへんのバランスは難しい。なぜなら、人間関係の中にあるものだから。

教室には実践の自由がある。

じいちゃん先生はもうすでに退職されている。その言葉の後ろにあるものが少し分かってきた分、重くのしかかる。そんなこと考えながらシャンプーしてもらっていた午後。

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