行為の途中にふりかえりが生まれる瞬間と素通りしていく違い


今日はLAFT。家庭訪問週間でみんなすっごい疲れているのに、集まってくるメンバーたち。学び続ける先生たち。マスターキートンのユーリ・スコット教授がいった大好きな言葉がふとよぎった。今夜、再読したいなぁ。

「昼間働かなければならないなら、夜勉強したまえ」
「さぁ、諸君。授業を始めよう。あと15分はある」
マスターキートン 3巻『屋根の下の巴里』より

LAFTでの話し合いは「ふりかえりが生まれる場面と流れていく場面のちがい」に焦点があたった。カンファランスしている場面でふりかえりアンテナがピピピ!となる瞬間と、していても、アンテナさえも立たない瞬間。

この、子どもたちと接している場面で内省しながら関わっている瞬間と、それが起こらない瞬間はなにが違うのか?
そんな問いが、メンバーとの対話の中から生まれてきました。

なんともゆるゆると対話が続く。

情報集めからの有効な手立てをさぐる関わり方に終始するのか、もう少しメタで自分をみながら、そもそもの自分のあり方そのものを見直す機会になっているのか。その「あ!今のオレのこの気持」といった一瞬を動かすものはなんなんだろう?

僕らのだした、ひとつの解は「具体のゴール設定」。

この場にたたき台としての自分を出してくれるメンバーの勇気。どろどろした実践の中で、もがいてもがいてもがき続けて、よい実践がうまれてくる。本当に子どもたちのためにって。口ばかりじゃない、そこに向き合っているのがさわやかだった。

にしても、今日は(日付をこえてしまったけれど)疲れている。よし!マスターキートン読んで寝よう笑。

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