何気ない計算式の採点をながめていて思うこと



「ちゃんと4年で交換法則を押さえておいてくれないとね」と妻がいいながら、カッコのついた分数のわり算のプリントを採点している。
ちくりと心にささる。

ふとみると、27(3/6+4/9)こんな問題だったかなぁ。
3/6✕27+4/9✕27にせっせとヤジルシで赤を入れて
27✕3/6+27✕4/9に入れ替えている。

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不思議に思って質問してみると、27を後に持ってくる必要性がないからだという。
確かに。と思う反面、ぼくはこれでもいいじゃんって思った。算数の真理を追求するならば、途中式は説明文に匹敵するはず。その説明のしかたは、それぞれのやりやすさがあっていいのでは?

きっとその子は、教科書問題で、分数✕整数の順のほうがただ見慣れているだけであって、たんに入れ替えたのだと思う。それでいいのではないだろうか。もし、そこに、真理を追求するなら、「自分らしい解き方」といったものを圧迫させてしまわないかなぁ。先生の(この場合は算数の真理)もっている、答えに正解あてはめるのが、問題にすり替わってしまわないだろうか。

これを拡張し、日々の授業で繰り返されたとき、学びの答えはすべて教師からでてくるものになってしまわないか。そういう授業を自分はしていないだろうか。正しい答えにたどり着く道のりは、それぞれあっていいのではないだろうか。

それでも、ちゃんと教えることは教える、正しいことは正しく、間違っていることは間違っていると教えることは必要。この式の場合は、入れ替えるで正解だろう。

でも、なんかこういうふしぶしからつたわる、学習のイメージって子どもたちはどう受け取っているのかなぁって思いが広がっていった。
学習者自身がそれをどう受け止めているかだよなあ。子どもの持つストーリーを感じ取る必要があるなぁ。最近、とくにそういうところが気になっている。

さいごに、妻は「児童理解が必要ね」といっていた。

たしかにそのとおり。ふとした場面から、こんなことをおしすすめて考えてみれた。そういう感覚を忘れちゃいけない。
何気ない計算式の採点をながめていて思うこと。

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