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★★258冊目★★ 『ダイアローグ』 ★★★★★5つ星



オススメ度:★★★★★ もう一度読みたい度:★★★★★ 読みやすさ:★☆☆☆☆
TODOリスト:自分の思考を観察しながら、対話をしよう!

20100801 002

はじめるまえに・・・。
いやー、読みにくい!
とっても読みにくい!
ボームが開発した言葉の数々
「想定」「コヒーレンス(一貫性)」「インコヒーレント(非干渉性)」「保留」「自己受容感覚」「参加型思考」「集団思考」「描写」「観察」などなど、言葉の定義をしっかり押さえていかないととても理解できない。
訳者の言葉は平易でわかりやすいのですが、話の抽象度が高いため、ほぼ一日かけてじっくりと読みました。
あっさり速読ではさっぱりです。

では、気を取り直して

最近、新リーダーシップ論の中にダイアローグ、ダイアローグといわれていますが
そもそもダイアローグとはどんなものなのでしょうか?
日本語に訳すと「対話」です。
今回は、この「対話・ダイアローグ」の著者デヴィッド・ボームの思想にふれてみます。
ボームは物理学者です。
アインシュタインと親交もあり、物理学の世界ではかない異端児な発想で新しい理論を構築した人でした。
そもそも、物理学の世界は、ニュートン時代の物心二元論と呼ばれる、物と心など、別々のものとしてとらえようとする時代でした。
しかし、ボームはアインシュタインと対話を繰り返す中で、宇宙へ視点をむけた「全体論」を提唱します。
つまり、私たち人間は宇宙という全体の中の部分である。
切りとって部分として存在するのではないということです。
いきなり「宇宙~」「全体~」というと、宗教チック?と、かなり引いてしまいますが
「地球」に置き換えるとすんなり理解できるのじゃないでしょうか。
「私たち生き物は地球の中の一部です。地球は規模で考えることが大切なんです!」
どうでしょうか。
ボームは、この科学分野の全体性(文中では「内蔵秩序」といいます)を出発点にして、コミュニケーション論にまで応用しました。
その手法が、「ダイアローグ」、つまり、「対話」です。

対話は部分部分の参加者が議論するのではなく、ひとりひとりがもっている思い込みや考えを捨て(思考の保留)、まっさらの状態で話し合うことができれば、だい3案が生まれ、どんな問題も解決できると提唱しました。

では具体的に「対話」とはどういうものなのか?
よく引き合いに出されるのは、「議論」です。
「議論」には、勝ち負けがありますが、「対話」には勝ち負けはありません。
「議論」には、どちらかの意見が採用されますが、「対話」では、第3の新しいアイデアを創造することができます。
「議論」には、目的や司会がありますが、「対話」には、目的や司会などなく、とても自由な雰囲気で話し合います。
少し伝わったでしょうか。


対話する場面をボクの好きな「キン肉マン」を例を挙げるとこんなかんじでしょうか。

キン肉マンとロビンマスク、ウォーズマン、アシュラマン、ネプチューンマン、キン肉マングレート、そして悪魔将軍が会議室でロの字型で宇宙征服についての話し合いをしています。
ロの字の会議は黒板正面にえらいとされている悪魔将軍が座ります。それに準じで席が埋まっていく感じでしょうか。

こういう会議場面だと、対立が生まれてしまいます。
「地球を征服しようとする悪魔将軍は悪い奴だ!」
「正義超人とは名ばかりで、うらで変装してマッスルトーナメントに参加するやつがいる」
「そうだそうだ~!」
喧々諤々と意見が対立しはじめます。

そこで、ロビンマスクがいいました。
「みんな、お互いの利害関係や思惑、生きてきた経験を全部ぬいで話し合おうじゃないか」
「カーカカカカ!そのとおりだ!」
「コーホー、コーホー」
アシュラマンヤウォーズマンも答えます。
そして、ロビンマスクはおもむろに自分のマスクを脱ぎ捨てました。
「!!!!?」
「さぁ、みんなも自分の固執した考えやマスクなんかとっちゃえよ!」
それに驚いた超人たちは、おろるおそるマスクを脱ぎ始めました。
ウォーズマンはパカッと取り外し、ネプチューンマンは恥ずかしそうに
グレートは申し訳なさそうに、次々とみんなマスクを脱ぎ捨てました。
そして、最後まで粘っていたのはキン肉マン。
自分の王位にこだわってしまい、なかなかはずすことができません。
それを横目に悪魔将軍が潔くマスクをとりました。
そんな姿に心打たれようやくキン肉マンもようやく・・・。

するとどうでしょうか。
驚いたことに、みんな自分のマスクと距離をとりながら、おたがいに車座にすわりはじめました。
「このほうが自然だな」
「コーホー」
「ボクたちは悪魔超人や正義超人といったことにとらわれすぎていたみたいだな」
「私たち超人は同じ超人じゃないか、さぁ、おたがい手を取り合ってこの地球、いや、この宇宙を守ろうじゃないか!」
「おー!そのとおりだ!」
「へのつっぱりはいらんですよ」
素顔になった超人たちは口々に、そして自由に自分の考えを述べ始めました。


「対話」とはこんな感じでしょうか。
自分のもっている想定(メンタルモデル)から発する「思考」をいかに、保留できるかがポインです。
客観的に、背後霊のように自分の思考をみること(自己受容感覚)ができて、初めて対話が成立します。
このような対話ができれば、宗教的な争いや国家間のいがみ合いなど、解決の手口がみつかるはずです。
しかし、この想定、思考は人類の今までの文化によって、かなり条件づけられてきているのでなかなか、想定を「横に置く」ことがむずかしい。
このへんの置き方については、言及しておらず他の本にゆだねる形となっています。

しかし「対話」の持つ力はものすごいものがあります。
これからは、教育現場にも活用していこうと思います。
いまEFCで取り組んでいる「学校熟議」もおなじ対話の場です。
学校内においても、先生、保護者、子ども、業者さん、地域の人など、関係する人たちみんなで「対話」することであたらしい未来、教育コミュニティのありかたが見えてくるのではないでしょうか。

この本の後半は、思考のでき方と、思考のとらえ方など少し哲学的な話がメインとなってきます。
前半だけでも十分この本のおもしろいところは伝わります。
さらに、対話について詳しく知りたければ、ピーターセンゲの「学習する組織」にその4プロセスが載っていたかと思いますので、参照してみてください。

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