「向き合うこと」に欠けていたこと、それは「寄り添うこと」

 

先週のこと、初めて取り組む習字や遠足、その他もろもろの学校行事で、あれやこれやと指示することも多かった。特別日課も続き、子ども達は生活のリズムがもてずに、ごてごて。結果、お互いイライラすることも増え、しかることもふえるし、どこかおもしろくない。教室の中で、だれかがしかられている空気は、「次は自分だ…」とじわじわとせまってくるよう。心がささくれだつ。でもそれも、オイラは子ども達のことを思ってのこと。逃げずに、後回しにせずに「向き合うこと」をしてきた。

でも、それってほんと?

放課後、ウーパールーパーのウパ男にえさをあげながら、一日のことを振り返っていたら、そんな問いが生まれた。

 

オイラは、いつ頃から「向き合う」って言葉を使うようになってきたんだろう。特別支援学級の担任をやりはじめたときだろうか。それまで通常学級で、ひとりひとりに、じっくりと逃げずに向き合ってきたつもりだったんだけれども、やっぱり、人数の多さと、そのかかわりの浅さを実感したからだろうな。

でも、特学では、子ども達と「向き合うこと」で、かれらのもつ苦手なことや障がいが及ぼす学びにくさも、少しずつ克服していけることを知った。人は成長するってことをね。ここで、人はかわれる!としなやかマインドセットを体験的に知った。だからこそ、めんどくさいことやその子のできていないことへ「向き合うこと」から逃げちゃいけないと思って、その後、通常学級で子ども達とやってきた。

でもそれが今の自分を苦しめている。

子どものかかえているできないことや苦手なことへ「向き合う」ことで、きっと子どもは変われると信じている。でも、ときにそれが、「また~?」「学校になにしきてるんだよー。もう~」と、叱責や批判がくりかえされてしまう。そんな、つもりはないんだけれども、ついつい強く言ってしまうことも。すると、おたがいの言い分や気持ちにも、軋轢や葛藤が生まれてしまう。

「ここで、向き合わなければ!きっとまた、来年同じことを繰り返して苦労するはず。今ここでなんとかしなければ」って。これまで、向き合うことから避け続けられてきた子たちは、または逃げてきたこたちは、やはり教室でもしんどさを未だに抱えている。だからこそ、この子の将来をねがってのこと厳しいことも。だれも、相手を悪くしようとはおもっていないし、善良な親心から。相手の心のエネルギーも気にすることもなく、つながりという関係性に甘んじてしまって。ふりかえってみると、こういうことをしてしまったことが、これまで何度あったことか。あぁ、ごめんな。でも、それで成長してきた子たちもいる。だから悩ましいところ。

でもね、やっぱ、なんかね、もっと足りてなかったことがあったんだろうね。それは、「寄り添うこと」。

どうして、もっと苦しんでいる子に優しくしてあげられなかったんだろう?きっとね、この年齢になってきて、校内で、認めてもらいたいっておもっていて焦っていたんだろうなぁ。教室を美しく「ととのえたい」って気持ちがむくむくと。「ちゃんと、学校のやくそくまもって、工夫してやっています」って。でも、そもそもそういうマインドセットがちがう。もっと、大事なところでつながっていかないといけないんだ。

新年度、始まっての1ヶ月。子ども達のペースに合わせて、これまでやってきたことは少しおさえてきた。だからこそ気づいちゃった。学校って、ちゃんと規律やルールで管理していると流れてしまうことに!ここで問題なことは、何が育っているか、何を子どもたちが理解しているかは別としてってこと。うう、怖い。裏を返せば、ワークショップのような取り組みをしていくことが、オイラにとっては、そういった教え手の都合教育を未然に防げる装置になっていたんだと気がついたりもした。

 

向き合うことに欠けていたことは、寄り添うこと。自分のために、向き合うではなく、子どものために向き合う。そう思うようになると、もっと寄り添えるようになれた。

失敗から学べるように、何を声かけ、支援していったらいいのだろう。何度言っても伝わらない。何度も言い続けることは大切だし、そこからは逃げちゃいけない。でも工夫することはできるはず。その子ができるように、いやな気持ちになったり、あきらめないようなアプローチが。

何度言ってもできない子には、机に付箋を貼ったあげたりするし、鉛筆もって最初の1文字を書いてあげることもそう。一緒に考えたり、感情に寄り添ったり、そっとしておくこともそう。依然できていたことだったのに…。

これって甘やかし?ちがうよね。ガツンと批判されて成長したいって、だれも思えないよ。小学校って、オトナからの一方的な感情をつきつけやすい場になりがちだから、気をつけないといけない。

ガツンと言われて伸びるには、もっとちょっと先の「自分ごと」になってからのこと。でもね、ウソはいわない。健全な批判は必要だしちょこちょこ伝えていく。それが、相手にとって恐怖やしつけにならないようにしたいってこと。子どもだって大切な一人の人なんだし。待てばよし。人が成長するには時間がかかるってこと。

しなやかマインドセットを再読して、ちょっと心に抱えていた「こっちの教え手としての都合」の圧力がぬけた。なにも、強烈に管理する必要はなくって、子ども達の願いの総和でルールをつくって、学校らしさ、教室らしさをつくっていけばいいってこと。それが学習コミュニティづくりにある。プロジェクト・アドベンチャーのビーイングもそう、ワークショップ授業もそう(ワークショップ型ではなく)。

失敗はできるようになるチャンスだとあらためて、心持ちがかわった。そうすると、教室の中でみえる一つ一つの行動すべて意味づけがかわって見えてきた。どんなにできない子だって、そして、そのなかでも、やろうと努力しているところに目が行くようになった。ああ、ごめん、そこに気づいてあげられなくてって。気持ちになった。教室の空気感が一気に変わり、柔らかくなった。まぁ、これまでものんびりはしているんだけれども笑。今週は、オイラも、教室にいて幸せな気持ちで過ごせた。

心持ちは、大事だ。人は変われる。だから、その努力した行動やしていることについて、「どうしてそんなにがんばれるの?」「まぁ、その失敗を次にいかそうよ。」と寄り添っていけばいいんだろうな。うん。とりあえず、そう続けていこう。

こういうことを気づかせてくれるわんぱくな子どもたちが、今年もいる。オイラは、子どもたちにエラソーに教えているつもりだけど、じつは、「イガせん、まだまだわかってねーなー」と、じわじわと教えてもらっていることに気づく。ちょっとなまいきな奴らだけれども、ありがたいことだなぁ。これからも、そういうことにアンテナをたてていきたい。 

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遠足の日、「晴れますよーに」っててるてる坊主をかざってくれた。でもそれが読書タイムのときに…。あらぁ。嬉しいよでもねぇ…と。さてどうすっぺ? 学校ってこういうことの、積み重ねね。ま、これが楽しいんだよね。

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