EVALUTION CARD(授業評価)って学習者のものだなぁ

授業の善し悪しは学習者の中にあるものだなってつくづく思った出来事がありました。

ここ2回の英会話学校でのこと。授業が終わると必ずEvalution card(評価カード)を書くことになっています。項目は5つほどで、各項目が満点5点、そして総合評価も5点満点中というものです。各項目には、うろ覚えですが、「間違えを訂正してくれた」「楽しかったか」といったごくふつうのことがあげられています。

これは英語教室の質を確保するために必要だと聞かされていました。つまり総合評価1点だとそのときの授業料が戻ってくる仕組みだとか。こういうときぼくは、ついつい気を使ってしまうので安易に好評価をつけがちになってしまう日本人代表になってしまいます。でも、つけてみると、なかなか面白いなと思うことに気づきました。

初回のS先生の授業は絶えず笑いが止まらず面白い。まるでお笑いをいっしょにやっているかのように楽しい英会話が繰り返されました。最初の面談や1回目の授業も彼とあって、かなりのベテランなんでしょう、彼がえらばれたのもわかります。英語の内容も僕にとってわかりやすいものであり、純粋に英語って楽しいなっておもってまたこよう!って気になります。

2日目のK先生の授業はいたってふつー。紳士的であり、おもしろい!といった大きな山場もなく淡々と流れます。とちゅう、ぼくのこと嫌いなのかもなんて勝手に思ってりして。ただ、学習コンテンツのリスニングがぼくにとってとても難しいものでずっともやもやしていました。

あきらかに、楽しさといった情意面の評価はS先生のほうが優秀。K先生はキャラクターとしてなかなかかないません。でも、肝心の授業評価はどうなったかというと。

同じの「満足5」でした。すっごいおもしろい先生とたいくつな先生が同じ評価となりました。

あきらかにS先生の授業の方がおもしろいものでした。でもK先生の授業は終わった後にもやもや感がのこりました。これは先生のキャラクターに依存せず、学習その
もののコンテンツによる葛藤そのもの。

ぼくがどうして英会話学校に来ているかというと、英語を身につけたいからです。英語学習の導入としての「楽しい」というS先生の授業はよいものです。しかし、常に楽しい授業ばかり続くのが、学習者にとってはよいともとは限りません。楽しくても成長を実感できなければ意味がないですから。僕がここを目的としてきているのであって。リスニングに難あり!って課題を突きつけられた訳です。うーん、これって学校の教室にもいえることかも。やっぱり、勉強ができるようになってほしいし、そして、成長を実感してもらいたい。楽しいばかりでもだめなんだな。

結論。授業の善し悪しは情意面だけではやっぱり評価できないもの。まして、葛藤があればあるほど学習効果を高めます。もやもやを抱えない学習は楽しくとも、成長はあまり期待できない。ユーリアエンゲストロームも葛藤学習に価値をおいていましたし。

葛藤を抱えれば抱えるほど、授業評価は一般的に否定的になってしまうはず。教え手は、そこがこわく、ついつい楽しい方に流れがち。「教材の持つおもしろさ」から厳しく学ぶことは成長する大きな要因だと思いました。そのキャラクターとしての楽しさと授業コンテンツとしてのおもしろさをちゃんと教え手はわかって授業していることは、評価カードにびくびくする必要もなくなるはずですね。

また、先生のキャラクターって学習コンテンツを隠しがちになってしまうこともあるなとも。おもしろい先生=学習ができるようになるのは幻影で。でもだからといって、厳しい先生=成長するともかぎらないなぁ。

ぼくがこうやって英語の復習をしなければ、もやもやはただのもやもやで終わってしまうので。結局は、学習者の中にどれだけ「自立した自分の学びとしての責任感」があるかだと改めて思いました。単純に学習へのやる気かも。授業の善し悪しって案外、学習者が何をおみやげにもってかえったかによるかもしれませんね。

妻には、5ばかりつけていると、あんただけがその先生好評って思われて、ずっとその先生をあてがわれるかもよ。なんておどされたりしましたが、それもそれでいいでしょう。ぼくは自立した学習者なのでうけてたちましょう笑。いやいやすでにかなりの投資をしているので、必死ってことです。
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