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自学ノートと授業をつなぐだけでいいのかな

今年、他学年の先生たちから自学ノートの相談が増えてきました。「ありがたないぁ」という気持ちと、「継続しながら取り組めるなにかを提案していけるといいなぁ」と思うようになってきました。

これまで、自学ノートでは探究的なわくわくメニューがどうもネックになりがちでした。みなさんからもマンネリ化や熱中がさめてしまうといった、悩みがきこえてきます。

これまでの「一方的なやれやれ宿題」との比較からか、自学ノートは取り組み始めは、遊び感覚でできるので、いいほうです。けれども、その程度でいいのな?そこでほんとうに力がついて、学力が伸びているのかな?取り組みの射程がどの期間までをみこせているのかな?といった疑問が常につきまとう。

学習内容をしっかり記憶するのなら、やっっぱり、自学ノートでばっちりメニューの復習をもとに、小テストにむけて予習する計画的な学習が効果的でしょう。けれども、楽しんで自分の研究をすすめるわくわくメニューにおいては、その学力あたりがなんとも、ほわっとしています。

わくわくメニューは、いわゆる学習の見通しを自分で計画たてて学ぶ、学び方学習なのかもしれませんが、そうであっても学び方だけが独立して学べるものではありません。やはり、学習内容の知識と結びついてこその問題解決だったり、学び方や考え方といったより深い学びへなっていくのだと考えています。

それならば!と授業と自学ノートをつなぐ視点を考えていたのですが、どうもそれもちょっと違和感をもつようになってきました。授業で扱ったことを家でも研究しつづけてほしい。理科の磁石や今の時期だと昆虫研究、そういったものは盛り上がりやすいですが、やはり、単元が終わってしまう、自学ノートのワクワクメニューでもしぜんと終息へとおちついてしまいます。学習そういうものだといえば、それで終わってしまいますが、オイラは学びが生涯学習のように息の長い趣味のようものへとなっていってほしいのかもしれません。

単元ベースで授業を進めている限りでは、自学ノートに授業をつなげようとしても、やはり短期単発わくわくメニューで終わってしまいます。そこでは、年間を通して自分の研究をやり続けるといった子は生まれにくいと思えてきたしだいです。

以前、担任していた子が、2年間ずっと電車を研究した子がいました。電車のデザイン学校へ進学した報告をもらったりすると、そういう子がでてきやすい学習文化ってなんだろう?って、思います。ただの子どの能力に寄りかかったものなのでしょうか。

それだけではないと思います。きっと、「自分で」試行錯誤する時間がたっぷりあること。それを支えてくれる授業との繋がりが定期的にあって、学び方を学んで、しだいに、自分の研究へとずらしていき、年間とおして研究し続ける、そんな自学ノーを年間通してデザインし、ゆくゆくは学習者が自らその先をデザインしていく、長い見通しがあるといいのでしょう。

だとすれば、やっぱり、授業とつなぐことや、これまでのバラエティーに富んだメニューもふくめ、いろいろお試ししながら「自分の学び方を知る」、そんな期間が保障され、1年間ひきずりながらやっぱりうまくいったり、いかなかったりと繰り返し、教師も保護者も(学習者としての子どもはあんまり不安にならないんだけどさ)不安になったり、向き合ったりしながら継続していくことこそが、力を伸ばすんだろうと思う今日この頃。

とまぁ、細々とまた今年も続けていこうと思う。2学期に入ってからは、学級通信で毎日2名ずつ(一人は全員をランダム順に。もう一人はオイラの基準で)見開き2ページの自学ノートを紹介し始めました。子どもたちにとって、その影響はなかなか大きいものです。

成果をあげよう!生産性を高めよう!といった学びではなく、もっと、ゆったりとかまえて、いけるといいなぁ。

あ〜、なにか見えてきたかな。

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教員1年目をサバイバルするキミへ贈る6つの小言

 

教え子が教員採用試験に合格しました。それに寄せて贈ったメッセージ。読みづらかったので、ブログにまとめておきます。




おめでとう。これでいよいよ、オイラと同じ教員ですね。キミが「先生になりたい」と卒業アルバムに書いたときから12年が過ぎました。数年前、教室に遊びに来てくれたときから、確信していました。キミは必ず先生になるって。

 

これから希望や夢をもって、教育現場に飛び込むキミに、オイラからささやかながらのアドバイスを。それは、理想と現実は違うからです。これまでやってきたことが通用しないことが数多くあります。まだまだ現場には、管理的で一元的だったり、授業が成立しない学校現場は多くあります。もしかしたら、キミがボランティアで来ていたオイラの前任校のような温かい学校に着任するかもしれません。そう願っています。もしそうでないときは、これから伝える6つのことを思い出しながら、その1年間をサバイブしてください。ちょっとだけ先を行く先輩からのアドバイスだと思って読んでください。

 

 

1 子どもとおもしろがる教師になってほしい

 

教師の都合のいい子を育てないこと。教師が思っていたこととはぜんぜんちがったことをやったとき、それを「おもしろいな」と思えるそんな教師になってください。オイラはそれが、子どもに優しくなれるコツだと考えています。優しくなろうとして優しくなるんじゃなく、「おもしろいな」「どうしてそうしたんだろ」「ちょっとみせてみせて」と好奇心をもってかかわろうとすることから、その子の物語がわかってきて、本当に優しく関われるようになれるんだと思います。

 

大きな声をあらげたり、怒鳴ったりすることはしないでください。ちゃんと1人の尊厳ある子どもとして対等にかかわってください。そういうふうに接していれば、ちゃんと相手もキミに同じように接してくれるはずです。もし、大声をあげてしまったら、おちついたときにでも謝ってみよう。大人も失敗するし、そういうときには大人だって謝るものだと、子どもたちにとってよいモデルとなるはずです。

 

きっと、初めて担任する子ども達は一生忘れません。とくにやんちゃでトンガリ坊主な子達はなおさらです。オイラが当時、できなかったことで後悔していることがひとつあります。それは、そのトンガリ坊主の陰で大人しくも目立たない子どもたちへ毎日声をかけてあげられなかったことです。そういう子たちがもつ、心の世界は実はとても豊かでいろんなことを感じているはずです。そこに触れられると、教師という仕事の魅力がぐっと広がります。やんちゃな子を手なずけるそういったカリスマ型教師はあきらめて、だれにでも声かけのできる優しい先生になってください。その結果、クラス集団が温かくなり、やんちゃな子も癒やされて落ち着いてくるものです。どうしても叱るときがあったら、その子がその日、帰るときには笑顔で帰れるように立て直してあげよう。

 

 

2 まず授業をちゃんとできる教師になってほしい

 

まずは教科書を使って、ちゃんと教えることができるようにすることです。教科書はそのための大きなガイドになってくれるはずです。①学習指導要領から読んで、②だれも開かれたことのない!?研究編を開き単元の流れと1コマあたりのねらいを押さえ、③最後に赤刷りの教科書で授業の流れを再確認です。赤刷りだけで授業はしちゃいけないよ。そのために、自分用に書き込める教科書を書店で購入しておきましょう。まずは国語と算数からです。それに合わせて、授業準備のメモ用に授業ノートを用意しておくといいです。

 

自分の思いや願いをもっての理想の授業は、1コマの授業、そして1単元、1学期が流せるようになってからでも決して遅くはありません。力量がついてくれば、「教科書を学ぶ」から「教科書で学び」、「教科書も学ぶ」へとアレンジしていけるようになります。基本を身につけていって、6年間で何を身につけるといいのかが見えてくれば、自ずと自分なりに大切にしたいことが具体的になってくるはずです。

 

アクティブラーニングだとか、授業全体をワークショップするといった子どもに委ねる授業よりも、まずは一斉指導で子どもの願いをていねいに拾えるようになってからでも決して遅くはありません。活動やって何も身についていないことも多々あると不安になりますかあらあ、確実に授業内容を押さえられるようになってから、少しずつ挑戦していってください。

 

3 学級のことよりもまず学校のために働く教師になってほしい

 

キミには、釈迦に説法でしょうね。でもあらためて。もちろん自分の学級は大切です。その前に、他の先生たちの動きをよく見て、今、行事で何が動いているのか、何か手伝えることはあるかを「考え」ながら働いてください。素直に聞いてみるのも大切ですが、なんでも安易に聞くのではなく、自分でまずは考えてから尋ねてみることです。

 

意味がないと思うことや理屈に合わない仕事が学校現場にはまだまだたくさんあります。そこを変えていけなかったのは、先輩でもあるオイラの責任でもあります。けれども、そのひとつひとつに正論もっても、1年目のキミにはそれを解決するチャンスはまだまわってきません。その時が来るまで、職場の先生たちを大切にし、信頼し信頼されるそんな人であってください。そのほうが、長い目で見て、学校を一緒によりよくしていける仲間と巡り会え、影響力がでてきます。

 

オイラもそうだったけど、毎朝の校庭のライン引きをやっていました。そのときはいやでしょうがなかった。「子どもが自分で足で引いてドッジボールすればいいじゃん!」って。けれども、当時のオイラには学校に還元できる力量も経験は何もありませんでした。そんな気持ちでやるよりも、学校のために、せっせと役に立とうとがんばっている。そんな姿を職場の先生達はみて、キミを愛情持って育ててくれようとするはずです。

 

4 学びの場へ行く教師になってほしい

 

学年の先生から学んでください。先生という人は何か不思議な魅力やコダワリが必ずあるものです。併せて、学校外でも学び続けてください。サークルや研究会なんでもいいです。ですが、単発の学びはだめです。そこに所属して引きずりながら一緒に学べる仲間を見つけ切磋琢磨していきましょう。できればそのサークルや研究会で発表するといいです。かっこいい実践発表でなくてよくて、等身大の自分が大切にしているものを伝えられる、そんな場で学んでいってください。発表を通して、話を聞いているだけでは気づけなかった視点や、先輩たちからのあつーいアドバイスをもらえるはずです。

 

しばらく学んでいると、自分なりの思いや、やりたいことが自然と持てるようになってきます。あれもこれもと手を出したくなるけれども、ちょっとガマンしてみてください。キミはまだ1年目。やることや覚えることは他にもたくさんあります。ですから、自分の研究実践は1年目にひとつ、2年目もひとつ、と自分のペースでやっていけばいいのです。オイラは漢字の指導で1年間かけてようやく自信がもてるようになりました。その年は甲骨文字からスタートして本当におもしろかった。まぁ、今はもうやれないけれど

 

そして学びながら、「何のためにやるのか?」常に問える人であってください。それさえあれば、思考をとめずに「例年通りの提案」「手順の確認の職員会議」にはならないはずです。目的を見失わないように、行事や学習内容をただカバーするだけにならないように、「ひそかに」何のためにやるのかを考えていける人になりましょう。「何のためにやるんですか?」と、ぽろりと口にしてしまうと、めんどくさがられますので、「ひそかに」がコツです。意見を求められれば、話せばいいぐらいのつもりで。

 

5 ふりかえりをする教師になってほしい

 

週予定ややったことの授業記録のことではありません。授業でのその瞬間、自分が感じた思いや違和感、迷ったことなどをキャッチして書き記して、言葉にできるようになってほしい。いつも同じパターンで失敗を繰り返している自分に気づけるはずです。それをもって、人からアドバイスをもらえれば、相対的に受け取れ、自分のものにしていけるはずです。めんどくさいこともきっとわかっているはずです。でもキミとやりとりしたふりかえりの2年間のレポートは、キミの成長の軌跡が詰まっているはずです。

 

ふりかえりを続けてくるうちに、子どもの願いや思いへも届くようになる瞬間があります。そうなったら、より一層、悩みながら進める教師になれるはずです。それは、オラオラカリスマ教師を卒要して、子どもに寄り添えるという意味です。

 

6 本を読む教師になってほしい

 

心にひっかかる本はどんなものでもいいのですが読みましょう。ただ受け身で読んでいる限りでは、読んで満足で終わります。「授業でつかってやるぞ!」「○○でいかすぞ」って思いがあれば、ひっかかる視点や子どもの顔が浮かびながら読めるはずです。

 

できれば本は買って読むこと。そういう文化を若いときから身につけておくと、将来、本を通して学ぶ事への価値が育ってくるはずです。そして、読んだ本はどんなことでも記録すること。確実に忘れます。新任のときどれだけ記録(大事な点や考えたことなど)しながら読んでおけば良かったかと、オイラは今になって後悔しています。

 

そうそう、積ん読本は決して読まないからね。働きながらだと、本を読む時間はつくらない限り決して生まれません。積ん読本にしておくなら、買ってきたその日にガマンして全部ぱらぱらと流し読みしてしまっておくことです。「いつか読みたいな」と思っている本は、よほどの奇跡が起こらない限り、もう読めません。あきらめましょう。残しておくとその本たちの怨念もたまって、新しい視点への身動きがとれなくなりますよ。

 

そうならないようにも自分の本の読み方を戦略的に確立していくことです。先人達の知恵を糧として、力をつけていけるはずです。まわりの先生から、影響をうけた本を紹介してもらうのが一番の近道でもあり、嗜好の合う人からの紹介はあたりが多いはずです。オイラの経験では50冊読んで1冊、今の自分にあたり本があればいい方です。

 

最後に。

 

上の6つのこと全部、いつでも捨てられる教師になってください。今までの自分のコダワリを、目の前の子どもにあわせていつでも変えていける、アンラーニングできる教師にね。答えは学習者である子どもがもっています。そして、効率よく技術ばかりあつめてはやっぱりダメなんです。できることが増えてきた成長する子どものすがた、子どもとのすれ違いや日々起こるハプニング、そういうことに向き合いながら教師としての軸をもって自分なりの教育哲学を育てていってください。一朝一夕にはいかないけれど、日々の粘りづよい積み重ねが10年後の圧倒的な差を生むはずです。なんでもイエスマンではなく(1年目はそれでいいけれど)、10年後には、立派なコダワリのあるクセのある教師になってください。

 

こうやって先生をやっていると、一生懸命なだけに、ときに足下をすくわれるようなクレームや同僚に迷惑をかけてしまうような失敗は必ずあります。オイラは初任者の頃、教育委員会に呼び出されましたし(茶髪の件、感想用紙がいい加減な件、校長室で睡眠事件などなど)。折り合いがつかない人も必ずでてきます。全部をキミが抱え込む必要はありませんし、完璧な自分を求める必要もありません。そういう人たちとは一緒にやれないまでも、ないがしろにはせず、無理な対立をしないでやりすごすことも大事なコミュニケーション能力です。大変な親がいるなら、それと同じ以上に協力して助けてくれるキミのサポーターとなってくれる保護者も必ずいます。オイラもそういう親たちに支えてもらってきました。そういう人とつながり、元気をもらいながらもやっていくことです。もし、本当に苦しくてだめになりそうなら、いつでも連絡をください。一緒にピザを食べに行きながら話そう。

 

 

先生という仕事を楽しんでくださいね。頭でっかちにならずに、とことんまず子どもと一緒に遊び喜ぶ先生になってほしい。最初は、それがあれば、大丈夫。子ども達はついてきてくれるよ。当時のオイラは放課後、キミとバスケをしたこと覚えているよ(バスケ部に入るって言ってたけど、剣道部に入ったこともね~)。そして、キミが「先生になりたい」って思ってくれたように、キミがこれから出会う子ども達の中から、同じようにそう思ってもらえる子がでてくると幸せだな。採用試験合格、心からおめでとう。場所は違えど、まってるよ。

 

あ~、うれしかった。

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カマキリの目玉は黒?問いと好奇心の狭間で

 

明日がいよいよ運動会。今週は、運動会用の特別日課で毎日3~4時間の体育生活。これまでのオイラの経験にはない!なんともびっくら!ペース。でも、集中して取り組む良さもあるなぁっとも感じています。

けれども、子ども達もちょっと疲れをみせはじめているところ。今日は3時間目からはちょっと体育をおいといて、理科そして総合で畑仕事(大根のまびき)をして気分転換。

今学期の理科は昆虫について。子どもたちがそれぞれ、追求したい問いをつくって磨くこと2時間。今日でそれぞれの研究にはいって3回目。教室には今、ありんこやありんこ、そして、ありんこ+かまきりがゲストとしておじゃましています。(ありんこさんにはとくに協力してもらっています。ありがとう)

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※あとでだんごむしは昆虫じゃないってことが判明してきました。 ありんこ愛に夢中な子達は、ペットボトルに捕まえて、土をいれてエサをあげて、どれだけ部屋をつくるか、毎日あきずにずーっと、みています。オイラもいっしょにぼーっとみています。運動会のほっと一息。なんともいやされます。そして、ありんこは、部屋を実際につくっている!こういうの、子どものときにやりたかったなぁ。

 

今朝、学校玄関で捕まえてきたカマキリ。運がいいのか悪いのか、クラスのわんぱく坊主につかまり、いろいろ実験されてしまいます。今日の科学者の時間ミニレッスンは、「本で調べよう」でしたので、さっそく図書室で昆虫についての調べ物を。みなさんそれぞれノートに発見したことなどを黙々と記入している横で、

「うおおおお!この図鑑にかいてることウソだー!ウソだ!」と図書室にカマキリ片手に大声で叫んでいる少年。


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うるさいなぁ、と見に行くと、すんごい顔近くにカマキリをおしつけて、説明してくれました。なんともカマキリは昼間の目玉は緑で、暗いとこでは黒なんだって。

「図書室は今、昼間で明るいから緑になるはず!でも、このカマキリの目は黒だ!だだだあ!」と発見に興奮中。

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「でもそれって、もっと明るいところにつれていったら、目の色変わるかもよ!」と隣のわんぱく坊主もすごい顔を寄せて話をし、外に行ってしまいました。まぁ、草むらに同化するための保護色かもしれません。そうそう。ノーベル化学賞を受賞した本庶佑氏は好奇心と簡単に信じないことを話されましたね。まず実際に自分の目でみてみることを大切にしていきたいです。

しばらくすると、「うおおおお!たまごうみそう!カマキリのはらパンパン!」とみんなに見せ歩いていました。「たまごうむ前にはらいっぱいたべさせよう」「そうしよう。そうしよう」と、いつのまにかバッタを捕まえてきていけにえに。もう、すっかり目玉の色のことは忘れている様子。

「イガせん、カマキリはごはん食べてるときは、目玉が緑になるよ」と、いけにえの儀式を終えた少年はニヤリと教えてくれました。そして、「それ今日そのカマキリさん、どうするの?」とたずねると「イガせんは教室に何時までいるの?お願い!!カマキリみはっておいてー」と逃げるように帰っていきました。さて、どうしよう。このカマキリ。

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もちろん、自分でつくった問いを追求している子もいます。けれども、偶然の発見からそっちのカマキリへ問いを吸収されてしまう子達もいます。新たに、樹液を集めまくって、虫をまずつかまえてやろうとたくらんでいる子達も。好奇心はうつろいやすく、一度決めた問いを追求するか、それとも臨機応変に変えていくのか、どうしたもんかなぁと思案しているところです。

この季節でも草むらにさがすと、まだまだ昆虫はいますね。

あ~おもしろかった。

お弁当はせっせとカレーをつくっとります

 

今日は都民の日で休校。オイラにとっては、かれこれ30年ぶりの都民の日。子どもの頃はなにしてたんだろなあ。

台風の影響もあり、遠足の下見で山登りにいこうとおもったけれども、電車が不通かつ、山道がわるそう。妻から「行ってくるなら、保険かけていってくるといいよ」と言われ、まだ死にたくないので今日は断念しときました。

「数学的思考」の研究にむけ、日本の数学史を知りたく「数学的な考え方の具体化」著片桐重男を読み直しました。昭和10年よりずっと、数学的思考、今でいう資質能力をそだてていきましょうって、言われてきたんだな。

でも、どうして計算の反復練習がはびこっていったんだろう。そこが気になるな。実際に、ここ数年でさえも、繰り返し計算ドリル3回地獄は続いているし。

この文脈であらためて、数学的思考を「学習者が意図的に」発動しながら学んでいこうとする「数学者の時間」には、可能性をあらためて感じているし、まだまだ実践を磨いてかないとなぁと気を引き締めなおしました。

読んでばかりであきてくるので、カレーをつくりました。

オイラの学校は毎日がお弁当です。そのため、週末に大好きなカレーをまとめてつくっています。四日分つくって、冷凍して、せっせと毎日1セットずつ持って行っています。ついこだわっちゃうのでカレーづくりに時間がかかります。できるだけちゃっちゃと手抜きでやりたいのよね。

ここにきて、作り方を変えてみたりしています。今日は、黒糖をいれてみました。お米はいただきものの埼玉のお米。そして、発芽米にもしたりして。

しばらくしたら、カレーのレシピを開発したいなあ。キャンプにいって食べるとすげえ旨いのに、家で作ってみるとあれほどの感動がないのはなぜだろう?やっぱり、味覚も文脈依存なのでしょうか。

あ~、うまかった。

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リラックス リラックス

 

 TVを観なくなりました。その分、意識して本を読むようなりました。なんでだろう?ってふりかえってみると、この夏、イタリアに行ってから変わったな、と思う。

イタリアでは、友人宅にずっと泊めてもらっていました。TVが階段の軒下に置いてあり、ぬけてるコンセントをネコがかじっていました。それをみて、「あ、なんかかっこいいな」と。

本当にやりたい事に時間をつかっていこうって思えるようになりました。受け身だったり、ながされてしまったりしまわないようにしようと。

この一月TVのスイッチをつけてません。以前は、帰宅したら自動化されたようにリモコンに手がのびていたのに。この一月で唯一観たのが、FIFAバスケ日本代表戦ぐらいかな。録画だけど。

ストレスとかリラックスしたいからなんでしょうね。それほど観たいわけではないのに、つけっぱなしになっていることが増えていましたね。

以来、TVにひきずられるようにフェイスブック、TwitterのSNSやメールなどは、朝晩の二回ぐらいでしょうか。今後も、そのくらいがオイラにはちょうどいいなと思っています。「親指無意識的自動化アプリひらいちゃうSNS症候群」もなりをひそめるようになりました。

受け身になりがちな情報をへらしてみたら、会いたい人と会う機会がぐっと増えました。1人で考えてみる時間も増えました。

先日、学園の広報に寄稿しました。イタリア感じた働き方について。よかったらご笑覧ください。


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★★★

イタリア人の魅力にふれる

 

 この夏、ピザ好きが高じ、教員友だちのいるイタリアを訪問した。私にとっては初めての訪伊であり、行きたい場所も多々あり忙しくなりそうな旅の予感がしていた。しかし、そうはならずに、休みの過ごし方を鑑みる機会となった。

 

 彼の名前はフラビオ。教員友人の彼氏にあたる。国際線のパイロットだ。ホスピタリティに溢れ、もちろん女性だけではなく誰にでも親切にしてくれる。ワインを飲んでは、イタリアの食文化や歴史ついて気さくに話し、町中では行き交う人々誰にでも気軽に声をかけてしまう、そんな生粋のローマ人だった。

 

 普段は緊張感の溢れる機長の責務を負っている。その責任観からか、

「オフは完全にリラックスだよ。ナオト、教員もパイロットも同じように責任ある大変な仕事。だから、この旅はゆっくりリラックしていってくれよ」

とニカっと、笑って話していた。

 

 ボートを借りてくれ、レモンの香る風と崖に町が美しくひしめくソレントからカプリ島へ出航した。からっとした空気と強い日差しが照りつけてくる。その日光を惜しみなく浴びようと恥じらいもなく、イタリア人はみなが水着になって海ではしゃいでいる。日本人の私は気後れをしてしまうほどだ。

 

 昼食にしようと、浜辺にボートを停泊し上陸した。海辺でほおばったハムとチームの質素なサンドイッチ。なんともうまかった。ゆったりとした気分で、全てから解放されて食べる食事は格別である。

 

 そのはずだったが、私は日本から引きずってきていた仕事を一つやりのこしており、ずっとそのことが気にかかって浮かない顔をしていた。そんな様子を察したのが、フラビオが

「ナオト、リラックス。リラックス。普段、緊張感も責任感もある大事な仕事なんだから、こういうときこそ完全にオフになるんだ。TVもネットもみーんな無しでね」

と、またもニカっと笑顔で話してくれた。そして、波際で揺られ、潮風を含んだ空気をたらふく吸ってリラックしたフラビオは、夜のフライトがあるからと、空港へ颯爽と戻っていった。私はというと、そういうものかと、ネットもTVも無い生活とピザを食べ歩きながら過ごすことができた。

 

 昨今、働き方改革が叫ばれているこのご時世。私は、この夏、全てを忘れ、初めてゆったりと「今、ここ」を味わいながら、自分を取り戻せた気がした。帰国すると心に余裕というか、ゆとりが生まれたのか、何のために働いて、何のために教育に携わるのか、ふと考える時間が増えていた。もちろん、これまでいつもはついているTVは消してだ。休み方を通して、魅力的な生き方にふれる体験をすることができた夏だった。

★★★


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