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言葉に頼らないで感じること

 

これまで「言葉にすること」にたよりすぎていたので、これからは「感じること」を大切にしていきたい。そんな貴重な経験をこの週末にしてきました。

石川県の21世紀美術館で近代アートの鑑賞と、加賀百万石の城下町で香道を体験してきました。石川県のイメージって、オイラの中では中学校3年生の時の席替えで、石川さんの隣に金沢君が座っていて、県名と県庁所在地がいっしょだ!って指さしてヘラヘラ指摘したのを覚えていたぐらい貧相な知識でしかなかった…。すみません。新幹線が通って、いつか機会があったら行けるといいなと、いよいよこの週末に行ってこれました。

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21世紀美術館にて。抽象的な作品群を前にして、一体どう理解していいのか?作者はどんな意図があるのか?なんて推理しながら鑑賞していたけれど、アートってどうもそれだけじゃなさそう。そもそも「どう理解するのか?」という問い自体がちがうんだろう。目の前の作品からせまってくる重圧は確かにある。全てとは言えないけれど、なにか感じるものがある。風に吹かれるように、木漏れ日を浴びるように心が心地いいって、それを味わいながら、ずっと胸に抱えてみるっていう鑑賞の仕方があるのかもしれない。頭で、そして、言葉で理解しようとしているオイラ。それは脇においたほうがいい。たぶん、それだけでは決して分かることはできないことがあるなぁ。そんな気づきがありました。

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茶道、華道、香道。三大芸道の一つである香道にもチャレンジしてきました。香林といって、木が朽ちて香りを醸し出すもの。とても貴重。その爪ほどの木っ端を、香道の作法にそいつつ、3種類をかぎ分けて、香りを当てていく三種香。香りに表現された主題を鑑賞し、その世界を愉しむ、昔の人の興にふれました。


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においって言葉にしづらい。実際にかいでみても、なんと表していいのか。言葉がまったく見当たらない。無理に当てはめようとすると、その言葉ですべて規定されてしまいあやうさを感じるし。

「やさしくとも、最後にキリリとしたかおり」なんともまぁ、ビールの宣伝文句みたいで我ながら表現力の乏しさにあきれてしまう。

けれども、今回のオイラは絶好調で、大正解。答えは「隣家の梅(1・2番目にかいだ香りが同じで、3つめが異なるもの)」で大正解。普段はずるずると鼻がきかないのですが、なんとも公式戦には強いのです。

近代アートも香道も、言葉に頼らずに「感じる」ことが共通している。自分の中で、なにか人としての輪郭が少し豊になった気がしました。

この感覚、実は今の学校に勤務していて、とくに感じるところ。これまでの数年、自分の取り組みの説得力高めるため、考える力といった資質能力を磨いてくることへと与してきました。けれど、どうも人が育っていく、学んでいくって「考える」といった資質能力を高めるためだけじゃない。そもそも、能力として身につけることだけじゃなさそうだ。今回の旅のように、「感じる」というチャンネルもちゃんと育てていくことなんだ。

教科書ややるべき事に縛り付けたり、問題をたくさんといているだけではいけないなぁ。本物を感じたり、体験したり、もっと豊かに心が、感性がはたらくような体験、それを授業の中にバランス良く取り入れていけるといいなぁ。なんか、すごい納得。それをどう見とどけ、評価し続けるってことはまた別の話でまた今度。

あ~、楽しかった。

 

『ようこそ、1人ひとりをいかす教室づくり』10章 1人ひとりをいかす教室作りの促進者としてのリーダーたち

 

いよいよ最後の10章のまとめです。三学期が始まり気もそぞろ。なかなか本をじっくりと考えながら読むことができていません。そのためか、ちょっと知的好奇心に飢えているところでした。10章をあらためて読み直してみると、あら、びっくり。先の一年間のふりかえりとつながってきました。

この10章、作者の1人ひとりをいかす学校改革の経験と研究成果がまとめられています。小見出しを書き出してみるだけでも魅力的だと思いませんか?著者のこれまでの学校文化に新しく1人ひとりをいかす実践を取り入れてきた、その苦労というか、発見の軌跡です。

“・信念と目標を吟味せよ

 ・ビジョンを確立し共有せよ

 ・過重な負担を避けよ

 ・長い道のりにそなえよ

 ・上手にスタートせよ

 ・1人ひとりをいかす方法のモデルをつくれ

 ・方針と手順を検討せよ

 ・改革の複雑さに対応するため教員研修を計画せよ

 ・継続的に支援せよ

 ・プレッシャーを与えながらサポートを提供せよ

 ・1人ひとりをいかすことを専門職としての責任にリンクさせよ”

 

このリスト、「あぁ、なるほどね」と読み流してしまわないこと。それを自分に投げかけながら読みました。もしかしたら、新しく目を見張るような気づきや取り組みなんて、もうないのかもしれません。でもこれまで、知ったつもりで、よく分かっていなかったことなんて、ざらにあります。じっくりと考え、自分とむきあって、はじめて、自分の中で知識として構築されていくことなんでしょう。さらっと読んで、知った気でいた今までのオイラは浅かったな~と、頭をたれるのです。

この「信念と目標を吟味せよ」をあらためてじっくり考えてみました。自分のビジョンってなんだろう?って。

これまで、ミッションステートメントや教育理念をバランス良く書いてきたけど、あんまり教師人生の指針としていかして使えるものになっていなかったなぁと思う。まだまだ、自分の理解が届いていないんだろう。

自分にとって本当に必要で大切なビジョンって?少なくていつでも使えて大事なもの。そうだなぁ、より抽象化されて、概念となったビジョンかもしれない。それは多くない方がいい。多すぎるものやバランスを取り過ぎるものは、結局、どれも大事で何者にもならないし、結局使えない。

昨年のふりかえりを読んでみて、大事にしたいこと、自分のビジョンって、じつはこれまでの教員経験での子どもたちとのエピソードと強く紐付いていると気づいた。経験が自分のビジョンをつくっていってくれるんだということだろうか。だから、かっちょよいビジョンや理念作りにあせらなくてよかったんだな。たくさんの子どもたちと出会う中で、自分は少しずつ教師になっていくんだろう。豊かな人との出会いが、自分のビジョンを磨いていってくれる、ということなんだろう。

1人ひとりの好奇心によりそってカンファランスをしているとき。あの子が先生になりたいなっていってくれたとき。あの子が「また4月あいましょう」っていってくれたこと。あの子がアリの巣に夢中になってずっとながめていたときのこと。目立たないけど、輝く所を発信してくれたあの子。子どもたち1人ひとりの心に触れる体験があればこそ、この仕事をしていていいなぁって、もっといい先生になりたいなって、おもえるんだろう。

一方、本当に大変だったなって思える子たちとの出会いも自分を形作ってきてくれた。すぐキレてしまうあの子、いつも高いところばかりに登ってたあの子、一年中ふらふらしていたあの子、生育歴の難しさや発達の課題も重複していたあの子、勉強で苦労していたあの子。そういう子たちがクラスの中に居場所をつくったり、オイラと一緒につながりが持てるようになったりした経験たち。

あすなろ相談室の子どもたちとの関係もそうだったな。今はもういいおっさんおばちゃんたちだけど。オイラが自分でいられるような場所だった。そこではありたい自分でいられたそういう場所だった。

こういうときに、本当にこの仕事をしていて良かったと思った。

大変だったけど、悔しい思いや悩んだりもしたけど、そういうことも全てひっくるめて、この仕事の素晴らしいことだと思う。これは生産性や効率だけでは決してくくれない。

一方、慣れてくればふつふつと欲も出てくる。力をつけたい。認めてもらいたい。評価されたい。エラそーに自慢したい。ライバルに負けたくない。そういう自分もいる。

そういうことって、長いスパンで考えてみると、やっぱりオイラのビジョンというか、オイラにとって案外、枝葉末節のことだったのかもしれない。健全な思いとして少しずつ昇華していけるといい。

自分のやっていることが、目の前の人を幸せにすること。こうやってブログを書いて振り返ったりしていることも、だれかの何かの糧になっているのかもしれない。そう思うと、まだ、オイラにはわからないけれど、それでもいいかなって思えてきた。こう続けることも意味があることなのかも。

子ども達との関係、自分の働き方を通して、フルバリュー(Full Value:PA活動でグループが大切したいもの、造語)で生きていきたい。なるほどね。フルバリューって意味がはっきりしていないけど、自分で意味づけしていく大事な指針だな。それにはやっぱり、1人ひとりと心がつながっていられるように努力することからなんだろうな。でできた。でできた。自分にとってのビジョンってフルバリューな人生をおくることなんだ。

オイラにとってフルバリューって、身近な人と幸せになること。集団を塊として眺めてしまわないように、1人ひとりとじっくりとかかわろうとすること。でもこれって、更新し続けるフルバリューなんだろな。

 

10章までじっくりと読むことができました。うん。読書ってやっぱりいいなぁ。自分の心を耕してくれる。これからもこういったすてきな本と出会い、読書を細々と続けていって、大事にしたしてくれる人たちとしっとりと、つながっていきたいと思う。

あ~、楽しかった。

『ようこそ、1人ひとりをいかす教室へ 違いを力に変える学び方・教え方』9章 1人ひとりをいかす授業を可能にするクラス作り 

 

たっぷりお正月もお休みしたり、振り返りもしたので、また細々と部員1人、部長兼任のブッククラブはじめていきます。笑。

この章は学級で1人ひとりをいかす教室実践に取り組むための「小さくはじめるスモールステップ」がまとめられていました。なにか、新しい実践に取り組むときには、こういうガイドがあると、よけいなヤケドしなくてすみますね。この章にあるチェックリストは、案外ベテランの教師が無意識にやっていることが多くありそうです。ビギナー教師にとっては、このリストをふりかえるだけでも、クラスはぐっと落ち着くはずです。おすすめの章です。

さて、1人ひとりをいかす実践では、なによりもはじめてみる!そして、「小さく」ってことが大事です。その一例を挙げてみると、1人ひとりをいかす教室では、それぞれの活動がそろっていません。だからこそ、集中できるように、また指示が通るように、余計なトラブルが起こらないように「静か」を基本とします。これはオランダで以前みてきたイエナプランの教室もそうでした。こういう「地固めの活動」があって、教師はあわてないで落ち着け、ばらばらなことに安心して教室に寄り添う人としていられるんだと思います。わちゃわちゃしていると、クラスが荒れているようにもみえて、余計心配してしまうものです。

全員で静かに取り組む活動を体験したのち、それぞれ別の課題で静かに取り組む活動へとスムーズに移行していく。こういう足場かけの実践って、案外いいかげんに語られることが多いけれども、すごく慎重に書かれています。オイラはこことても大事だと考えています。こういうステップは意識して丁寧にしているところだったりもするな。こういう地固めの活動があって、「ゆっくり確実に成長する」ですね。

“よく考える前にたくさんのことに手を出してしまう事は、失敗や挫折をもたらすだけです。小さくても確実に始めることが成功もたらします。”(P184)

 

ここね。そのとおりなんです。けど、よく考えるって視点は、知識としてやることや考えることが分かっていたとしても、自分の中でハラオチしている知恵へと結晶化されてはじめて、「よく考える」ことができます。ここまで記述されてはいないけど、何か新しい実践をつくりあげていくのには、やっぱり時間のかかるものです。

この章には、小さくはじめるためのリストはたくさんあるんだけど、その中でも特に気になったところはここ。

“生徒ができるようになったその証拠は何か?”P185

 

これって、教師にとって教えることが明確でないと、どんなアウトプットかまでは描けない。海外の文献では、よくこういった「証拠」っていいかたするけど、まさにそうだなー、と思うのです。逮捕しました!でも、証拠なーし。これ、警察だったらとんでもないこと。けど、教育では案外まかりとおってしまっているのかも…。

長いつきあいを覚悟する3ルーティンに、①生徒と最初に、そして頻繁に話をする、②生徒を力づけ続ける、③分析的であり続ける、とあります。その中でも、②の生徒を力づけ続けるっていいなぁと思うのです。

 

“教師が自分でしなくてもいいことを探す。

机イスの移動

フォルダ、資料の回収

振り返りチェックの効果的に

後片付け

自分の成長を記録しているか

学習目標を設定できているか

自己評価できているか” P189より

 

読んでみると、なにかエンパワーメントするニュアンスではなくて、なにか「自分でやれることを任せていく」ことが、力づけるってことなんです。学習者にオーナーシップをいかにもわたせるのか?それが、そのまま学習者を力づけちゃうって事なんですね。おもしろい。

 

 

“時間は限られていることを生徒が理解できるようにしてください。時間を賢く使うことはクラスの大切な倫理です” P194

生徒が教師の指示を聞いていてよくわかんないとき、サポートを得るときの方法を決める指針もルールとして大切だと思います。これだけでも、クラスはぐっと落ち着くはずです。

 

“1 よい聞き手になること。聞くことに集中させる。

  頭の中で再生させる。誰かにまとめさせる。

2 RICE、思い出す(recall)イメージする(imagine)、友達に聞く

  (check)、その日の専門家に指名された人に聞く(expert)。

3 ①と②やってだめだったら。そこでいよいよ教師へ質問。

    ジャマしたり、ただ、待っているのもダメ。”P193

 

最後に保護者とのかかわりが書いてあります。

 

“保護者に一緒に歩んでもらう

    • ①期待することを尋ねる。
    • ②説明する。
    • ③継続して、カリキュラム=親の願い、を伝える。
    • 依頼する。一緒に参加する。プロジェクトに参加する。大人も時間を割く価値があること。宝の山。”P200

 

 

オイラはここ数年、こういうところが課題になっていくので、相互に理解しあいながらすすめていけるようにしていきたい。その指針のひとつとして使わせてもらいます。

 

計画を実践にうつすための具体的なポイントが紹介されています。定期的に、読み直してみる章になりそうです。

2018の振り返り「授業づくりのことがハラオチした」

 

この4年間、個別指導でのカンファランス(個別相談)、カンファランスといってきたけれど、本当にまだよく分かっていなかった。分かったつもりにもなれなかったし、まだ理解の何かが足りない感じがずっとしていた。2018年度をふりかえってようやくそれが腑に落ちるようになった。

それは、教えることの見通し。つまり計画・カリキュラムづくりが、カンファランスの質を大きく規定してしまうことだ。このWS授業を体験することで、一体、何を身につけてほしいのかを明確に、事前にわかっていることが必要だった。

カンファランスの具体的な場面での、①「観察からの学習者理解」、②「ゴールの共有」、③「具体的な方法の提案」といったやり方だけでは学習者にとどかないことが多かった。子ども達は、なにか活動をしていたのだけれども、一体何を身につけることができたのか、考える力が伸びたのか、学習者が語れていなかった。それは、そのまま教師がそこをイメージできていなかったからだ。

具体的なカンファランス場面のやりとりをさらに明瞭にするためには、教師がどこに学習者を導きたいのか、明確なゴールを持っている必要がある。それこそが「数学者の時間」でいう、探究の計画づくりに必要だったことだ。

そのゴールは、教科書の内容といった基礎的知識(原理)の時もあるし、基本的な計算のスキル、数学的思考といった思考スキルに的を絞るときもあるだろう。さらには、時代によって変わらない、教科をまたいで使える、さらに抽象的な概念に的をしぼることだってできる。数学でいうパターンを見つけ、広げていく活動もそうだろう。さらには、より日常につなげたり、日常から切り離したりして数学のもつ美を追求したり(形式陶冶、実質陶冶)といったカリキュラムづくりも今ならできそうだ。

ようやく授業づくりのピースがそろった。理解できた。あとは、学習者への高い期待、具体的な実践計画と複雑なカリキュラムづくり、それを支えるカンファランス、計画の修正しつつの形成的評価、終末評価としてのパフォーマンスが機能すればいい。ここの感覚は、これまでばらばらだったのが、ようやくつながった。うん。できそう。そう簡単じゃなさそうだけど笑。けど、これまでの自分よりはよりずっといい授業になりそうだ。

こういった方法で、つくりあげてきたユニットや学習計画は、自分の財産になっていくんだろうね。それを使えば、子ども達がどんな風に学ぶのかが見通せるようになってくる。成功例も失敗例も(たぶん失敗例から学ぶことがまだまだ多そうだけど)ふくめ、学習のモデルを自分のなかにつくりあげていけるようになっていくんだな。そのためにも、形成的評価。日々、カリキュラム計画を更新していく必要があり、さらにいうと、毎年、そのユニットをよりいいものへと足したり引いたりしながら更新していくことである。カリキュラムをつくるってことなんだね。

あぁ、わかった。これまで自分がカンファランス場面で介入しようと思っても、なにか子ども達の話し合いに、一歩踏み込めない躊躇があったことが。それは、カンファランスは「めんどくさい」って言葉で自分ではこれまでずっと理解していたけど、そうじゃなかったんだよな。その入りにくさといった「めんどくささ」がうまれてしまう根っこの部分には、オイラ自身の授業づくりの理解不足がそうさせていた、そこにつながっていたんだとわかってきた。個別カンファランスしているときこそ、一番分かってもらえるし、教師として一番ゆったりとして楽しい時間だったりしていることを知っているから、やっぱりカンファランスでサポート、フォローアップできるようになっていきたい。

わすれちゃならないことは、これが「教材研究」ではないということ。教材が出発点では決してないこと。これは、学習者のための学習デザインであり、学習者ができるようになるための足場作りのカリキュラムづくり。「子ども達にどうなってほしいか?」が出発点としてあるからこそ、教材を道具的に使えるようになるんだろう。だからこそ、その道具でもある教材に夢中で研究することが、学習者をないがしろにすることではないってこと、今なら安心して言える。すべてはつながりの中にある。システム思考なんだね。

これまで、分からなかったことやばらばらだった知識。悩んだり、考えたり、失敗したり、引きずったり、もがいたり。たまにうまくいったり。そうやったプロセスを通して、それらの知識が自分の中で再構築されて、「自分のもの」になっていくんだとわかった。これは、本を読んだだけではわからなかった情報理解から(著者はそこを分かっているから書ける)、オイラ自身がつかえる知識へとなっていったにちがいない。だから、この5年間のワークショップ授業は長かったように思えるけど、決してムダなことじゃなかったんだと分かった。

去年のふりかえりでは、転職したことがビッグニュースだったことだったのに。そういったことは今の自分にはあんまり重要でなかったのかもしれない。オイラはとことん、こういうことを追求したいし、できるようになりたいんだ。

こうやって、オイラは教師になっていくんだろうな。そのプロセスの中に今、いる。

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ふりかえりのふりかえりの仕方

去年の振り返りをしました。 温泉につかりながらのんびりと、3日間かかりました笑。

その「ふりかえりのふりかえり」について記録しておきます。つまり、どうやってふりかえりをしたのか?ってこと。このふりかえりの仕方も、年々、変わっていくといいなと思っているので、定点観測ということでブログにあげておきます。

やった順に書くとこの4つ。
①これまでのふりかえり材料を読み直す。
②その振り返り材料からあらためて今年のふりかえりメモをする。
③しばらくそっとしておく笑。(ここ大事、しばらく時間をおくことで気持ちも冷静になって不思議と色んな事に視野がいくようになるから)
④その年のふりかえりを思うように書く。(フォーマットは自由!)←今ここ


まず、読み直したのは2014年からはじめてきた、新年のふりかえりと年度末毎のふりかりを4年分。8回にわたるその年のふりかえりには、自分の関心や好奇心、困っていることやそれとの向き合いプロセスなどが記されてありました。人にはなかなか明かせないけど笑。

定期的にまとめたものを節目に読み直してみると、自分の成長アルバムを見ているような定点観察できるんですね。定期的に振り返りを読み直すことで、日々の連続では決して見えにくかった小さな変化が少しずつ見える化されるんでしょう。

そして、自分の成長や案外変わっていない点などわかってきました。これは「まだまだ成長できそう!」って希望を抱ける点と、「人はなかなか変わらないもんだなぁ」と複雑な思いが生まれてきました。

それから、2018年のふりかえりメモ(evernoteにこまめにメモしてたら1600個も!)を読み直してみました。なかには、今読み直しても何を書いているのか、さっぱり意味不明なものも笑。けど、こまめにメモをとることで、何が大きく変わったかというと、自分の気持ちや考えている事へキャッチしやすくなったことでした。かっちょよくいえば、メタ認知が高まったこと。

そのときの気分や思考って、だだ流れしてていってしまうものなんですね。それを、「こまめにメモすること」で、自分の考えやひっかかり、思考のクセなど理解しやすくしてくれる装置となっていました。それには、紙にメモでもいいのですが、結局、見なおすことがありません。今はiPhoneのFasteverアプリでメモして、evernoteの「オイラのTwitter」と呼ばれるフォルダに記録しておいてます。

1年通したメモを、ざーっと読み直してみると、明らかに自分のクセだなと思うことがわかりました。それは、3学期になってからのほうが、1人ひとりのエピソードがはっきりとメモされていました。一方、1〜2学期は、クラスづくりことへの視点が多く、なかなか1人ひとりを追い切れていない。きっと、クラスが安定してから、各教科毎での個別にそった実践が安定してできるんでしょう。自分の学級と教科運営のやり方のようなものが、はっきりと分かってきました。その分、来年からは、意識して平行してやっていけないのかな?とも思います。

印象的だったことや気づきがあったことなど、またあらためて2018年メモからメモをまとめてみました。今年はWorkflowyというクラウドサービスを使って、アウトラインでわかりやすくグループ化しました(omnioutlinerよりシンプルなので今はこれに思考の整理しています)。メモのメモは、自分にとっての大切なハイライトですね。ふりかえってみると、ここがこの一年の自分のこだわりや意図してやってきたこと、できなかったことなどのかたまり情報です。

その分、これまで毎日細々と書いていた日々のふりかえりはパタッとやめてしまいました。こちらは「考える」にはもってこいの練習となっていたなと、今振り返ってみると思います。けれども、不定期に書くブログやヒミツブログなどで、振り返りたいことをじっくりと書いているので、まぁそのぐらいがオイラのペースに合っているんだとも分かってきました。過剰に書きすぎるのは、書くことが目的化してしまい、ライブな日常が題材化してしまう懸念がありました。楽しむとき、悲しむときはじっくりとその日常に埋もれたいと思うのです。

自由にふりかえるふりかえりは、気持ちいいものです。書き終わった後に、開放されるような、これまでの重荷を一度脇に置けたような、新しいスタートに向けての気分になれます。

そして、定期的に「なおちゃん、今年のふりかえりは?」とご自分のふりかえりを送ってくれて、声をかけてくれる方の存在も大きいです。さすがに4年もやると習慣?というか年の終わりの行事になってきました。

PLC便り 
https://projectbetterschool.blogspot.com/2018/03/blog-post.html
ふりかえりの視点を参考にさせてもらっています。このPLC便りからはホントよく学ばせてもらっています!

さて、しばらくつけておいたふりかえりから、去年の気づきや、今年大事にしたいことを言葉にしていこうと思います。

今年もどうぞ、よろしくお願いします。


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